2017年04月20日

サーバ移転作業はどこか反省会に似ている

サーバを新しくしようと思って1年も前に新しいVPSを借りていたのに、何だかんだと後回しになってしまい、そうこうするうちに若干抜き差しならぬ状況になった。近いうちにハードウェアメンテが入り、日中に30分くらい停止するというのである。それで急遽、一気に移転を済ませてしまわなければならなくなった。

サーバの移転というのは、要するに新しいサーバに前と同様の環境を構築し、データを移植してやる作業である。しかしなかなかこの1行余りで済むような話でもない。そもそもまったく同じ環境を構築することからしてできない。サーバのOSやアプリケーションにもサポート期間というものがあり、まあ使っているソフトが消え失せることはほとんど無いが、バージョンを上げずに済むこともほとんど無い。従って、データを移植したら検証作業が必要になる。検証をすると、まあ大抵は何らかの不具合が出る。ので、細々とした修正をちまちまと施さなければならぬ。これまで何度かサーバを新しくしているが、この辺のプロセスをすっ飛ばせたことは一度とて無い。

検証と修復をしていると、否応なく昔の自分のコードをメンテナンスすることになる。昔書いたコードで今も動いているもののうち、最も古い部類のものには2003年の署名がある。実に14年前である。過去の自分は他人だとか何とかいうが、14年も前だと他人どころか先史時代を生きていた遠い祖先のようなもので、そのあまりのあんまりさ加減にクラクラする。こんなものが幾星霜を経ていまだに動作しているのは実際驚くべき事である。もっとも、これは主にperl開発陣の素晴らしい努力の賜物であって、ぼくの功績ではひとつもない。

時間さえあれば全面的に書き直してしまいたいけれども、今だって新たに書かなければならないコードはいくらでもある。まあ過去の自分も未熟なりにいろいろと考えて書いており、何かと不満はありつつも手を入れねばならない箇所は毎回それほど多くはなく、よほどセキュリティ的にアレだとかそもそも動かないとかいう場合は別だが、ほぼそのままにしている。どうせまた1年くらいしたら、今書いているコードにだって不満が出てくるのだ。

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2016年10月16日

持てる者と持たざる者 - 『資本主義の正体 マルクスで読み解くグローバル経済の歴史』

今年のノーベル経済学賞をオリバー・ハート氏が受賞したその理由が契約理論というものだが、これについて一年以上前に自著で扱っていたと我らが池田信夫御大が自賛していたのが本書である。おちょくるようなことを書いておいて何だが、実は以前から読みたいと思っていたので、これを機会に手に取ってみた。

資本主義という言葉を、我々は案外何も知らずに使用している。驚いたことに、経済学者ですら長くその実態を掴めていなかった。が、様々な経済理論の挑戦によって、その正体が近年次第に明らかにされつつあるという。本書はそれを、主にマルクスを再評価することで解き明かそうというものだ。マルクスを扱っているが赤い本ではない。

主要な論点は第一章にまとまっており、第二章以降はそれを深める各論のような構成になっている。従って、極端なことを言えば第一章だけ読めば事足りる本である。しかし第一章を理解するには最低限近代史を知っている必要があるし、もっと言えば近代史だけ知っていてもなかなか理解が難しい。そこで次章以降の登場となる。

第二章以降では近代史を概観し、ある地域になぜ資本主義が生まれ、あるいは根付き、あるいは誕生しなかったかなどを通して、資本主義の本質を探っていく。読んでいると同じ山に違うルートで何度も登っているような感じもするが、景色がまったく違うのでそう飽きることはなく、むしろ楽しいくらいである。序章で著者は第二章以降を先に読んだ方が第一章を理解しやすいだろうと述べており、人によってはそのアドバイスに従った方が良いかもしれない。白林檎的には章立て通りに読み進め、読み終わったらもう一度第一章を読むというのがお勧めだ。

経済理論というとよくわからない数字で大衆を煙に巻くようなイメージがあるが、本書は喩え話を織り交ぜた解説がメインとなっていて読みやすい。数式やグラフもときどき出てくるものの、そういったものはすっ飛ばしてしまってもまったく困らなかった。鼻につくような主張も無く、読み物として純粋に面白い。

ただ、第二章以降は著者のブログの記事を利用している部分が多いのか、ときどき論旨や解釈に齟齬のある部分が出てきて軽く混乱することがあった。その辺はもうちょっと丁寧に本作りをしても良かったのではないかと少々残念に思う。そういう箇所はテキトーにツッコミを入れつつ気にせずに読み進めるスキルが求められるので、神経質な人は注意が必要だ。その辺を差し引いても、世界の秘密の一端を垣間見せてくれる本書には、一読の価値がある。

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2016年07月25日

夏の夜明けの生き物

妻がポケモンGOを始めた。このゲームではポケモンの出現場所がある程度決まっているが、何が出てくるかについてはどうも地域の特徴に沿っているような節があり、水辺では水にゆかりのありそうなポケモンが、山林では植物に縁がありそうなポケモンがよく出てくる。ならばピカチュウは電気に関係のあるところにいるだろうというので、先行配信された海外ではプレイヤーが発電施設に無断侵入し、警察沙汰だのニュース沙汰だのになったりしている。

我が家の周辺はというと、ズバットなるコウモリみたいなのがやたらと出る。雨戸の戸袋にコウモリが棲み着いているからかもしれない。このコウモリは明け方になるとヨタヨタと帰ってきて、あちこちに頭をぶつけながらどうにかねぐらへ潜り込むのだが、不思議なことに出かけるところを見たことがない。

この時期、コウモリが帰宅してくる頃になると、おもむろにヒグラシが鳴き出す。ヒグラシというくらいだからこの蝉は夕方にのみ鳴くものと思っている人が多いが、実は明け方にも鳴く。というより明度に反応しているだけなので、たとえ真っ昼間であろうと、例えば雨雲が立ち上がったりしてさっと辺りが薄暗くなると、どこからともなくカナカナと聞こえてくる。昆虫だけに実に単純なルールで生きているようだが、しかしそれだけでもきちんと他種と鳴き分けができているのだから、合理的と言えば合理的な話だ。

もう何時間かすればクマゼミあたりが鳴き始めるだろう。ぼくの眠気ももうちょっと単純なルールで訪れてくれると、夏を乗り切るのが幾分か楽だろうなと思う。

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2016年04月06日

ヒツジの瞳は横たわる三日月

陽光に誘われてうっかり庭に出ると、すっかり春であった。なんと気持ちの良い季節だろうと思った途端に仕事をしているのが馬鹿々々しくなり、午後から六甲山牧場へ出かけた。六甲山牧場というだけあって、この牧場は六甲山の上の方にある。我が家は神戸といいつつ海の見えない六甲山系中腹の裏手にあり、ちょっとした避暑地のような趣で、桜なぞ今が満開の見頃を迎えている。ところが二十分程度走った先の山上はなお気温が低く、場内にたくさん植えられている桜の木々はよくて三分咲きであった。大阪や神戸の海手から来た人たちはずいぶん涼しい思いをしていたことだろう。

子供の頃、妻は動物の世話をする人になりたかったそうだ。結局そういった仕事には就かなかったものの、家ではぼくを含め十匹弱の猫を毎日世話しているから、まあ似たようなことをしているといえなくもない。しかしそれでも動物を見るとテンションが跳ね上がるらしく、ヒツジにヤギにと思うままに駆けていっては熱心に写真を撮っている。平日ではあるが、同じように写真を撮ったりしきりにヒツジを撫でたりしている客は意外に多く、わざわざ中国や東南アジアから訪れている人たちもいた。ぼくも動物は嫌いではないから、おずおずとヒツジの背中に手を伸ばしてみる。

伊丹に住んでいた頃、家族でどこかの牧場を訪れたことがあり、多分ここだと思うのだが、何しろ三歳か四歳頃のことなので定かではない。実家のアルバムにはコメント付きで写真が残っているはずだが、今そんなことを言ったって仕方がない。とにかくヒツジはそのとき以来である。子供の頃のぼくは臆病だったので、触るのはおそらくこれが初めてだろう。案外なけなしの勇気を振り絞ってつつくくらいしたかもしれないが、どちらにしろ覚えていないのだから初めてみたいなものだ。ヒツジという動物はあの外見からぬいぐるみのような手触りだろうと想像していたが、これがまったく違った。ウールというだけあって感触としては厚手のセーターが一番近い。そして順番に他の動物にも触っていくと、種によって触り心地がかなり異なり、これにも妙に感心した。殊にブタなどは毛というより細い針金のようである。そういえば豚毛のブラシは堅いものねと、妻も感心しながら言っていた。

ウサギからウシからちょっと珍しい在来馬までくまなく愛でて、軽く休憩して牛乳を飲むと、もう日が傾きかけている。ここでは15時半にシープベルを鳴らし、ヒツジを畜舎に入れて給餌することになっており、タイミング良くその様子も見物できた。広大な敷地のあちこちに散らばったヒツジがこの鐘ひとつで勢いよく戻ってくるんですよと飼育員のお姉さんが子供たちに説明していたが、食事の時間はヒツジの方できちんと心得ているらしく、ぼくたちが着いた頃には既に牧場中のヒツジが畜舎の前で列を成していた。それでも入り口の前で待機している群れが合図の鐘と共に建物に突貫していくのはなかなかの見ものであった。

それから少し買い物に寄って帰宅すると17時前で、ちょうど昨日から始まった将棋名人戦を観戦しつつ、ゆるゆると作業の続きをした。自分のペースで仕事をし、気ままに過ごす動物たちを眺めてくると、多くの人々が日々あくせくと過ごさねばならぬ現代社会がどこかおかしいように感じられるとでも書くのかなと人は思うだろうが、どっこいそんなことはないのである。これで教訓めいたことなど書こうものなら天罰の三つくらい当たりかねない。

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2016年02月09日

Mac mini (Late2014)のWindowsを7から10にアップグレードした

Mac mini (Late 2014)にBoot CampでWindows 7 Proを入れて使っていたのだが、流石に潮時のように感じられたので、Windows 10にアップグレードすることにした。ところがうまくいかない。マイクロソフトのサイトからアップグレードツールを拾ってきて起動し、Windows 10をダウンロードしてPCをチェックして……までは良いのだが、その後で止まってしまう。「このデバイスはWindows10で互換性がありません」とあり、Iris 5100の名が書いてある。検索してみると同じところで引っかかっている人が結構いるようだ。

アップグレードするのは正直面倒だが、アップグレードできないとなると意地になるのが人間というものである。どら焼き片手にあちこちを見て回っていたところ、アップルのフォーラムの英語版にヒントらしきものがあり、それを参考にしたら何とか無事Windows 10にアップグレードすることができた。冗長なので全ては書かないが、要点としては次のようなものだ:

  1. デバイスマネージャからディスプレイアダプタを見付け、Iris 5100のドライバの削除を選ぶ。
  2. 本当に削除するかを聞かれるので、ファイルも削除するようにチェックを入れて実行。
  3. 再起動するかどうかを聞かれるが、この段階では再起動せずに作業を続ける。
  4. 画面が低解像度に切り替わるが、慌てずにWindows 10アップグレードツールを実行する。

この手順を踏むことにより、互換性云々で躓くことなく、インストールを開始することができた。後は画面の指示に従って適宜進めるだけである。アップグレード直後も画面表示が何となく変だったりするが、ぼくの手元ではディスプレイドライバをきちんと見付けて自動でインストールしてくれた。手順3のところで再起動すると失敗するのかどうかは試していないのでよくわからない。が、フォーラムには「絶対再起動すんな」と全部大文字で書いてあったので、おそらくうまくいかないのだろう。

なお、この手順はマイクロソフトやアップルが公式に認めたものではない。環境によってはうまくいかないかもしれないし、うまくいかなかったからといってサポートが助けてくれるとも限らない。要するにくれぐれも自己責任でどうぞというアレである。ま、うまくいかなかったとしても、ディスプレイドライバを入れなおせば少なくとも原状復帰はできるはずだから、その辺の理屈がわかっていて同様の症状にお悩みなら、試す価値はあるだろう。

posted by 白林檎 at 03:48| Comment(0) | TrackBack(0) | ITもしくはイット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月12日

不思議な話

「いま不思議体験をした」と妻が言うので何かと思ったら、ひとりでにPhotoshopが起動して、しばらく前に死んだ三毛猫の写真が勝手に出てきたという。画面を覗き込んでみたら、それはファイルサーバの大分奥の方にある写真で、なかなか偶然開くようなものではない。何かの前兆だろうか、という話になった。そんな話になったのは心当たりがあったからだ。老猫が一匹、脚に悪性腫瘍を作って、妻の実家に厄介になっていたのである。最近何かと忙しく東京と神戸を往復したりなどしていたもので、うちに置いておいても十分な世話をしてやれない。それで、申し訳ないことだが、預かってもらっていたのである。悪性腫瘍というのは要するに癌で、外科手術でもしてやらない限り余命は長くない。預けたのが二ヶ月ほど前だし、先日様子を見た感じではいよいよ危ない雰囲気だった。件の三毛猫はその老猫と仲が良かった子で、これは彼女を迎えに行ったのかもしれないねなどという話に自然となった。

そんなことがあった翌日、預かってもらっていた老猫が死んだ。

妻の家の女系には割とそういう話が多いらしく、ぼくも何度か聞いていた。誰それが亡くなる直前に夢枕に立ったとか、虫が知らせただとか、いわゆる霊とかいうものをリアルに感じざるを得ないエピソードに事欠かないそうだ。ぼくは霊感どころか勘も鈍いのでそういう類の話とは本当に無縁で、やはりどこかうさんくさいというか、有体に言って何かの冗談くらいに思っていた。のであるが、今回のようなことを体験すると、これはもしかするとという気分になる。

死んだ老猫は血統書などというものが付いていて、結構な数の仔猫を産んだ。彼女自身、かなりの美猫だった。美しかったがあまり頭はよろしくなく、すぐに粗相をする子だった。と、ぼくも妻もそう思っていたのだが、最後を看取った義母の見るところによれば、実はむしろ賢かったのではないかということである。とても綺麗好きで、それ故に他の猫とトイレを共有するのが嫌だったのかもしれないと言っていた。今となっては確かめようもない。

死んだ翌日、荼毘に付した。柏原市の葬祭場では人間はもとより犬猫も個別に火葬にして、しかも骨まで拾わせてくれる。何とも小さく華奢な骨だった。急なことで骨壺が無く、とりあえずタッパーに入れて持って帰ってきて、あらためて近くの店で陶器の壺を買ってきた。入る分だけこれに移して神棚に祭っておき、入らなかった分は田舎に持って行って先に行った猫たちのところに埋めようと話しているが、忙しさにかまけてまだ何もしていない。そうしたら、何の前触れもなく冒頭の三毛猫がまた出てきた。あまり遅いので今度は催促に来たのかもしれない。世は不思議に満ちているのだ。

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2013年08月31日

トウカイテイオーの死

トウカイテイオーが死んでしまった。25歳だから年齢的には大往生と言って良いのだが、何だか呆然としてしまって言葉が出ない。ときには何かを受け取ったり、ときには励まされたり、本当に好きな馬だった。一度会いに行ってみたかった。今更言っても仕方のないことだが。

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2013年03月27日

夫婦岩

二つ並んで鎮座しているものを夫婦ナントカと名付けるのは日本人の習性のようである。外国にそう呼び習わされているものがあるのかどうか、不勉強なようだがぼくは知らない。

先月、結婚記念日に合わせて妻と淡路島へ行った。そこで訪れた伊弉諾神宮には夫婦の大楠というのがあった。これは連理木で、確かに夫婦というにふさわしい。昨日は夫婦岩というのを見た。夫婦岩と呼ばれるものは全国にあるようだが、昨日見たのは伊勢二見浦のものである。二見浦の夫婦岩は大小二つの岩が海面に顔を突き出しているもので、もちろんどちらかが夫でどちらかが妻ということなのだろうが、一体どちらがどちらなのか、夫婦で眺めながらそれぞれ考えてみるのも面白かろう。

津は伊勢で持つなどというが、確かに伊勢神宮、特に内宮の人出は平日とは思えない程である。休日はどうなってしまうことだろうと思う。このようなことを書くとお前も平日に参拝したくせになどと人は言うだろうが、昨日伊勢辺りにいたのはそれなりに理由がある。一昨日は義弟の結婚披露パーティで名古屋にいたからである。一昨日名古屋にいたからといって翌日伊勢に行く必然もないのだが、伊勢には以前から行きたいと思っていたし、せっかく近くまで行くのだからというので寄ってきたという次第である。もっとも、名古屋から伊勢は近いといっても遠い。近いと思っているのがぼくと妻だけだからかもしれない。

義弟のパーティは、個人のプライバシーに関わることだからあまり詳しくは書けない。詳しくは書けないが、何しろピアニストとシンガーの新郎新婦のことだし、ジャズ喫茶を借り切って会場としていたから、二人の小さなコンサートを間近で楽しむことができた。招かれているのも親族と彼らのごく親しい友人たちだけで、気兼ねしないという訳にはいかなかったけれど、世の結婚披露宴のようなタイクツな時間がひとときも無かったのはとても良かった。義弟たちはこれから二人であちこちで演奏したいと言っていたから、近いうちに紹介することもできよう。

日本人が何かに付け夫婦と呼びたがるのは、ひょっとすると我々の神話に根源があるのかもしれない。夫婦神や人類最初の夫婦の神話伝承はそれこそ世界中にあるが、イザナギとイザナミのように創世をした例はあまり無い。夫婦和合を妙に重視する精神性はやはりこの辺に起源があるように思うが、どうだろうか。

イザナギとイザナミは偉大な夫婦というべきだが、割と早くに死別してしまい、そこは神様だけあって一度は再会したものの、結局は喧嘩別れしてしまった。義弟夫婦も二柱のようにこれから色々と育んでいくことと思うが、是非とも後半は見習わず、二人末永く仲良く過ごせることを願っている。

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2012年12月03日

排水溝顛末

二、三週間ほど前から、風呂の洗い場の排水が流れにくくなった。ぼくが入るときだけかと思っていたらそうでもないようなので、これは何か対策を講じなければと思った。

ホームセンターなどに行くと、排水管の詰まりを取る薬剤というのがいくつか並んでいる。どんな汚れも溶かして流すなどと恐ろしげなことが書いてある。だがうちの排水管が詰まって流れにくくなっているのなら、この大袈裟な文句もなかなか頼もしく思える。それで、買ってきて早速トロトロと入れてみた。二時間ほど待って流してみると、とりあえずその分は何事もなく排水されていった。これは直ったかと思って風呂に入ると、やはり頭を洗っているうちに流れが悪くなる。直っていないのである。

次に手を付けたのが、排水口の蓋にくっついている半球状の物体である。これを碗トラップというのはこのとき初めて知った。排水管とうまく組み合わさることで水による一種の封印となり、下水から上がってくるニオイなどを閉じ込めるための構造なのだそうだ。とにかく、これがどうにかなっている、つまりうまく組み合わさっていないのではないかと疑った訳である。そこで、ゆるんでいるのかとネジを締め直してみたり、逆に締めすぎたかと少しゆるめてみたり、あるいは排水管の周囲の、本来これが収まるべき場所が詰まっているのではないかと掃除をしたりしてみた。しかし、どうしても良くならない。

仕方がないのでだましだまし使っているうちに、ふと庭にあるマンホールから水が噴き出しているのに気付いた。トイレ以外の排水が集まってくる溝の蓋で、すなわちそういった排水が溢れていることになる。ちょうど洗濯機を回していたときのことだったので、それが終わってから、今度は浴槽の水を抜いてみた。すると出るわ出るわ、都合四カ所ほどのマンホールから次々と水が溢れてくる。慌てて風呂に栓をして、これはどうしようもないかと思って水道工事店に電話をした。

職人さんの来るのを待つ間、万事まず自分でやってみなければ気の済まない妻が、溢れているマンホールを片っ端から開けてみていた。排水溝のマンホールは台所の裏あたりから、風呂の裏を回って駐車場を抜けるように並んでいる。それらのすべてから水が溢れている訳ではなく、あるマンホールを境に、溢れているものと溢れていないものとに分かれていた。で、その境となっているマンホールを開けたとき、妻はなかなかに大変なものを目にすることになったのだった。

もったいぶっても仕方がないからさっさと書いてしまうが、そこには、風呂から流れた石鹸や皮脂や髪の毛といったものが絡まって固まった末に謎のヘドロとなり、大量に堆積していたのである。すなわちこれによって排水溝の流れが悪くなり、風呂の排水の流れが悪くなり、マンホールから水が溢れていたのだ。それを見るなり妻はバケツを持ってきて掃除を始めた。だが、いくら取ってもなかなか底が見えない。かなり長く頑張って八割方取ったところに、ようやく職人さんがやってきて、一目見るなり「これが原因ですね」と言った。ドンピシャだった訳である。

それから、掃除を代わりながら、職人さんがいろいろと排水溝の仕組みを説明してくれた。この詰まっているポイントはわざわざこういったゴミをトラップするように作られていること、その掃除の仕方などである。なぜここでゴミを捕らえるようになっているかというと、この先でトイレの排水と合流するからなのだそうだ。合流してから詰まったらどんな惨事になるかは容易に想像が付くので、これには納得せざるを得なかった。掃除と説明を終えて、残っていた浴槽の水を流してみると、まるで嘘のようにスムーズに流れていった。これでようやく安心して風呂に入れる。作業料金は税込み4,200円。もう少し高いかと思ったが、案外安く済んだ。妻がある程度掘り返していたのもあるかもしれないが、何より暮らしが安心な業者に頼まなかったのが良かったのかもしれない。こういうのはやはり地元の業者に電話するのが一番である。

それにしても、排水溝が掃除しなければならないような代物だとはついぞ思い付きもしなかった。流せば勝手に流れていくのが排水だと思っていた。これが常識なのかそうではないのかぼくには判断しかねるが、二年やそこらであんなに皮脂がたまるものだろうかという気はしている。

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2012年04月11日

名人戦についてのお詫びと訂正

今ニコニコ動画を見ていたら、一昨年に三浦八段が羽生名人に挑戦したことを思い出した。ぼくもネットの中継で見ていて、確か全局とも横歩取りという意地のぶつかり合いだったと記憶している。この十年間、名人位にあるのが羽生さんか森内さんかというだけで、よく考えたら、よく考えなくてもそうなのだが、その事実は挑戦者もまた羽生さんか森内さんでしかないということと等価ではなかった。ここにお詫びして訂正いたします。

それはともかく第一局から流石の熱戦である。引き続き観戦していきたいと思う。

posted by 白林檎 at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 白林檎的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする