2011年07月30日

ジョークの向こう側

中国人の「できました」と韓国人の「できます」と日本人の「できません」は信用するな、という、これは何というのだろう、ネットで定型化された一種の成句というかジョークというか、そういった文句がある。言うまでもなく中国人と韓国人を嘲笑する内容なのだが、これがどうしてなかなか、単に口をゆがめて笑うだけでは済まないだけの奥深さを持っていると思う。

ところで、ある国同士、特に隣国の国民同士がいがみ合っていたり蔑み合っていたりというのは、世界的に見てもそれほど珍しいことではない。日本人は中国人や韓国人を差別的な目で見ているといわれるが、中国や韓国に行けば日本人を蔑視している人だって少なくないので、これはまあおあいこである。こんなことは極東でなくとも日常茶飯事で、例えばイギリスとフランスがことあるごとに張り合うというか馬鹿にしあうというか、そういった関係にあるのは有名な話だ。英語でフランス風の何々というと下品あるいは低俗というニュアンスを含むことが多いし、イギリスでそう呼ばれる同じものがフランスに行くとイギリス風などと命名されていたりする。性に関する語句でこれは顕著なようで、イギリスとフランスの例にとどまらず、イタリアに行けばスペイン風だというし、スペインに行けばキューバ風だということになったりして、ヨーロッパくらい国境線が入り組んでいるとそれだけ関係性も複雑になってきて面白い。

さて、冒頭の言葉に戻ろう。

この言葉の何が面白いといって、日本人なら一読して無意識のうちに優越感を覚えニヤニヤしてしまうというのもひとつではあるが、そんなことより、内容を裏側から見たときに、それぞれのお国柄、あるいは社会構造がうっすらと浮かび上がってくるのが興味深い。

言っていることを信用するなというのがなぜかといえば、対象が気軽かつ頻繁にそれを口にするからである。イソップ寓話でオオカミ少年というのがあるが、裏付けなく繰り返される言葉は信頼度がそれだけ低くなる。つまり、中国人はできていなくてもできたと言うし、韓国人はできそうになくてもできると言うし、日本人はできるだろうと思ってもできないと口にする、そういった現象が、ある程度の範囲に通用する常識となるくらい広く認知されているということである。

これは、裏を返せば、どういう状況であれそう答えざるを得ないことが多いということを示している。すなわち、中国では「できていません」とは言えず、韓国では「できません」と言えず、日本では「できます」と軽々しく言えない、ということである。ここから、それぞれの国の人々が何を恐れるか、あるいはそれぞれの社会が何に対して不寛容であるかが、うっすらと透けて見えてはこないだろうか。

ネットに転がっているスラングあるいは差別的に見える表現の中には、ぎくりとするほど真実を突いているものがたまにある。例の文句は日本人の間のみならず、中国や韓国においてさえジョークとなりうるのではないかと思うが、どうだろう。

posted by 白林檎 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書算盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック