二つ並んで鎮座しているものを夫婦ナントカと名付けるのは日本人の習性のようである。外国にそう呼び習わされているものがあるのかどうか、不勉強なようだがぼくは知らない。
先月、結婚記念日に合わせて妻と淡路島へ行った。そこで訪れた伊弉諾神宮には夫婦の大楠というのがあった。これは連理木で、確かに夫婦というにふさわしい。昨日は夫婦岩というのを見た。夫婦岩と呼ばれるものは全国にあるようだが、昨日見たのは伊勢二見浦のものである。二見浦の夫婦岩は大小二つの岩が海面に顔を突き出しているもので、もちろんどちらかが夫でどちらかが妻ということなのだろうが、一体どちらがどちらなのか、夫婦で眺めながらそれぞれ考えてみるのも面白かろう。
津は伊勢で持つなどというが、確かに伊勢神宮、特に内宮の人出は平日とは思えない程である。休日はどうなってしまうことだろうと思う。このようなことを書くとお前も平日に参拝したくせになどと人は言うだろうが、昨日伊勢辺りにいたのはそれなりに理由がある。一昨日は義弟の結婚披露パーティで名古屋にいたからである。一昨日名古屋にいたからといって翌日伊勢に行く必然もないのだが、伊勢には以前から行きたいと思っていたし、せっかく近くまで行くのだからというので寄ってきたという次第である。もっとも、名古屋から伊勢は近いといっても遠い。近いと思っているのがぼくと妻だけだからかもしれない。
義弟のパーティは、個人のプライバシーに関わることだからあまり詳しくは書けない。詳しくは書けないが、何しろピアニストとシンガーの新郎新婦のことだし、ジャズ喫茶を借り切って会場としていたから、二人の小さなコンサートを間近で楽しむことができた。招かれているのも親族と彼らのごく親しい友人たちだけで、気兼ねしないという訳にはいかなかったけれど、世の結婚披露宴のようなタイクツな時間がひとときも無かったのはとても良かった。義弟たちはこれから二人であちこちで演奏したいと言っていたから、近いうちに紹介することもできよう。
日本人が何かに付け夫婦と呼びたがるのは、ひょっとすると我々の神話に根源があるのかもしれない。夫婦神や人類最初の夫婦の神話伝承はそれこそ世界中にあるが、イザナギとイザナミのように創世をした例はあまり無い。夫婦和合を妙に重視する精神性はやはりこの辺に起源があるように思うが、どうだろうか。
イザナギとイザナミは偉大な夫婦というべきだが、割と早くに死別してしまい、そこは神様だけあって一度は再会したものの、結局は喧嘩別れしてしまった。義弟夫婦も二柱のようにこれから色々と育んでいくことと思うが、是非とも後半は見習わず、二人末永く仲良く過ごせることを願っている。