リビングに置いているソファは何とかいう品のレプリカらしいが、なかなか座りやすくて気に入っている。この家に越してくるときに買った物だから、およそ丸八年の付き合いである。なかなかに思い出深いソファなのだが、しかし合皮はあちこち剥がれ、クッションはへたり、いい加減経年劣化を隠せなくなってきたので、とうとう買い換えることになった。新しいソファを入れる以上は、このソファは捨ててしまわねばならない。
ソファを捨てるにもいろいろなやり方があるだろうが、この辺りの場合はまず市に回収依頼の連絡をし、それから近くの店で粗大ゴミシールを買ってくる。シールに受付番号を記入して対象に添付したら、指定日の朝、家の前に出しておく。すると回収車がやってきて拾っていってくれるという案配になっている。既にシールを入手する段階までは済んでいて、あとはこれを貼り付けて家の前に出すばかりである。
慣れ親しんだソファといえば、子供の頃、ソファを捨てる捨てないで大騒ぎをやらかした覚えがある。そのソファは物心ついた頃から家にあったので、両親が結婚したときくらいに購入したものかもしれない。とにかく、ぼくにとってソファといったらずっとそれだったもので、妙に執着し、それこそ新しいものを買うから捨てるとなったときに、何やら胸が引き裂かれるような思いがして、やたらと抵抗したのであった。確か小学校の二年生か三年生の頃のことである。普及価格帯のソファの寿命というのは大方そんなものなのかななどとも思う。
今は流石に泣き叫んだりはしないが、やはり一抹の寂しさがある。粗大ゴミに出す朝は、きっと心の中でソファに向かってありがとうなどと言っているだろう。有体に言って変な人である。が、ものを長く使っていると過度に愛着が湧き、人格をすら認めてしまう傾向にあるのは、多分ぼく生来の性質というものなのだろう。付喪神を信じるところまでは行っていないので、ソファ供養はおそらくしないと思うけれども。