2019年07月09日

タピオカの大きい粒と小さい粒

先月から義弟夫婦が新宮で飲食店を始めた。タピオカドリンクとランチを出す店だそうである。一度覗いてみたいのだが、何分神戸からは少々遠いので、まだ行けずにいる。風の便りを聞く限りでは繁盛しているようで、誠に結構なことだ。飲食店は大変なことも多いと思うが、当たるとデカいというのはよく言われるところなので、頑張ってほしいものである。

現在のタピオカブームは世間では第三次と位置付けられていて、十年ほど前に第二次ブームがあったようだ。言われてみればその頃にもあのミルクティを街中で見かけたような気がしないでもない。第一次ブームは1992年頃だそうで、これは流石によく覚えていない。スヌーピーで有名なシュルツのコミック作品『ピーナッツ』にはタピオカ・プディングという名の女の子が登場するが、アメリカの方では大分前に流行ったりしたのだろうか。まあ、こちらは由来が全然違うのかもしれないが。

二十年ほど前に某中華料理店でバイトしていた頃、その店にはタピオカを使ったデザートがあった。最近流行りのは玉といった感じだが、当時のそれは粒といった風情で、半径で言えば十分の一程度だったろうか。それをアイスクリーム用の小さな器に適当に盛ってココナッツミルクをかけ、スプーンで食べるのである。大学のあと渋谷まで戻り、夕食どきのシフトで店に入ると、休憩時には賄い食が出た。一流シェフの作る賄い食は何とも絶品だったものだが、流石にデザートまでは出されなかったから、結局このココナッツタピオカをぼくは食べず仕舞いだった。今もその店にこのメニューがあるかどうかは知らない。小さい粒のタピオカは食材として現在も流通しているようだから、機会があったら自分で作ってみようか。

大きい粒を使ったタピオカドリンクは台湾が発祥の地だそうで、今も一種の名物のようになっている。バイトのときのこともあってか案外ぼくはこれが好きで、たまにその辺の店に寄ってみて、行列ができていなければ買って飲んだりする。先般台北を訪れた際も、せっかくだから本場のを楽しんでみようとスタンドに立ち寄ると、流石は茶葉の名産地、いろいろなお茶にタピオカをぶち込んでいた。コールドの烏龍茶でオーダーすると、果たして甘くない普通の烏龍茶にタピオカの入ったものが出てきた。こう書くといかにもイマイチだったように人は思うかもしれないが、これがなかなかいけるのである。香りの良いお茶にほんのりと甘いタピオカがうまくマッチして、さっぱりとした飲み口が楽しめる。タピオカミルクティももちろん美味いが、タピオカ烏龍茶を出す店が日本でも増えたら良いなと思う。

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2019年04月01日

新元号雑感

新しい元号が「令和」に決まった。出典は万葉集だそうで、まあその辺の解説は新聞なりウィキペディアなりを見れば書いてあるので詳しくは触れないけれども、白林檎的には日経新聞にある京大・阿辻名誉教授のコメントが良かった。記念に抜き書きしておこう:

  • 「令」には、「令嬢」「令息」といった言葉に使われるように「よい」という意味がある。
  • 「令」の漢字の構造は、ひざまずいている人に申しつけているという形で「命令」の意を含む。このため、令和を漢文調にすると「和たらしむ」とも読める。

それから、和は古来日本を表す字でもあるので、「よき日本になるように」という気持ちもこめられているのかなと個人的には思う。

元号が実用的か否かについてはいろいろと議論はあるが、少なくともこの国の時代というものが、それによって区切られ、印象が総括されるという面は確かにある。令和の日本はどのようになっていくだろうか。

それにしても、新元号発表がこれほど盛り上がるとは思わなかった。日本人は本当にお祭り好きだとあらためて思った。かくいうぼくもそれなりに楽しんでいる訳だが、このように新元号だ即位式だと明るい方向に騒げるのも、今上陛下の粋な計らいがあったればこそだろう。時代が切り替わるなら節目は楽しい方が良いに決まっている。青年時代まではお茶目な方だったそうだから、国民の騒ぎ様を皇居から眺めて、ご自身も楽しんでいらっしゃるのではなかろうか。

同時に、皇太子の即位をお祭りムードにしたいというような、今上の親としての情もそこはかとなく感じる。新しい時代の皇室を目指した平成の有終を飾るにふさわしい発表だったと思う。

ところで、菅官房長官の発表会見はネットで中継されるというので、せっかくだから見物に行こうと思っていた訳である。ところが、見ることができなかった。夫婦揃って寝ていたからである。次は頑張って生中継を眺められるよう、令和年間は生活リズムを整え、維持していきたいものである。

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2018年10月22日

ソファ

リビングに置いているソファは何とかいう品のレプリカらしいが、なかなか座りやすくて気に入っている。この家に越してくるときに買った物だから、およそ丸八年の付き合いである。なかなかに思い出深いソファなのだが、しかし合皮はあちこち剥がれ、クッションはへたり、いい加減経年劣化を隠せなくなってきたので、とうとう買い換えることになった。新しいソファを入れる以上は、このソファは捨ててしまわねばならない。

ソファを捨てるにもいろいろなやり方があるだろうが、この辺りの場合はまず市に回収依頼の連絡をし、それから近くの店で粗大ゴミシールを買ってくる。シールに受付番号を記入して対象に添付したら、指定日の朝、家の前に出しておく。すると回収車がやってきて拾っていってくれるという案配になっている。既にシールを入手する段階までは済んでいて、あとはこれを貼り付けて家の前に出すばかりである。

慣れ親しんだソファといえば、子供の頃、ソファを捨てる捨てないで大騒ぎをやらかした覚えがある。そのソファは物心ついた頃から家にあったので、両親が結婚したときくらいに購入したものかもしれない。とにかく、ぼくにとってソファといったらずっとそれだったもので、妙に執着し、それこそ新しいものを買うから捨てるとなったときに、何やら胸が引き裂かれるような思いがして、やたらと抵抗したのであった。確か小学校の二年生か三年生の頃のことである。普及価格帯のソファの寿命というのは大方そんなものなのかななどとも思う。

今は流石に泣き叫んだりはしないが、やはり一抹の寂しさがある。粗大ゴミに出す朝は、きっと心の中でソファに向かってありがとうなどと言っているだろう。有体に言って変な人である。が、ものを長く使っていると過度に愛着が湧き、人格をすら認めてしまう傾向にあるのは、多分ぼく生来の性質というものなのだろう。付喪神を信じるところまでは行っていないので、ソファ供養はおそらくしないと思うけれども。

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2016年07月25日

夏の夜明けの生き物

妻がポケモンGOを始めた。このゲームではポケモンの出現場所がある程度決まっているが、何が出てくるかについてはどうも地域の特徴に沿っているような節があり、水辺では水にゆかりのありそうなポケモンが、山林では植物に縁がありそうなポケモンがよく出てくる。ならばピカチュウは電気に関係のあるところにいるだろうというので、先行配信された海外ではプレイヤーが発電施設に無断侵入し、警察沙汰だのニュース沙汰だのになったりしている。

我が家の周辺はというと、ズバットなるコウモリみたいなのがやたらと出る。雨戸の戸袋にコウモリが棲み着いているからかもしれない。このコウモリは明け方になるとヨタヨタと帰ってきて、あちこちに頭をぶつけながらどうにかねぐらへ潜り込むのだが、不思議なことに出かけるところを見たことがない。

この時期、コウモリが帰宅してくる頃になると、おもむろにヒグラシが鳴き出す。ヒグラシというくらいだからこの蝉は夕方にのみ鳴くものと思っている人が多いが、実は明け方にも鳴く。というより明度に反応しているだけなので、たとえ真っ昼間であろうと、例えば雨雲が立ち上がったりしてさっと辺りが薄暗くなると、どこからともなくカナカナと聞こえてくる。昆虫だけに実に単純なルールで生きているようだが、しかしそれだけでもきちんと他種と鳴き分けができているのだから、合理的と言えば合理的な話だ。

もう何時間かすればクマゼミあたりが鳴き始めるだろう。ぼくの眠気ももうちょっと単純なルールで訪れてくれると、夏を乗り切るのが幾分か楽だろうなと思う。

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2016年04月06日

ヒツジの瞳は横たわる三日月

陽光に誘われてうっかり庭に出ると、すっかり春であった。なんと気持ちの良い季節だろうと思った途端に仕事をしているのが馬鹿々々しくなり、午後から六甲山牧場へ出かけた。六甲山牧場というだけあって、この牧場は六甲山の上の方にある。我が家は神戸といいつつ海の見えない六甲山系中腹の裏手にあり、ちょっとした避暑地のような趣で、桜なぞ今が満開の見頃を迎えている。ところが二十分程度走った先の山上はなお気温が低く、場内にたくさん植えられている桜の木々はよくて三分咲きであった。大阪や神戸の海手から来た人たちはずいぶん涼しい思いをしていたことだろう。

子供の頃、妻は動物の世話をする人になりたかったそうだ。結局そういった仕事には就かなかったものの、家ではぼくを含め十匹弱の猫を毎日世話しているから、まあ似たようなことをしているといえなくもない。しかしそれでも動物を見るとテンションが跳ね上がるらしく、ヒツジにヤギにと思うままに駆けていっては熱心に写真を撮っている。平日ではあるが、同じように写真を撮ったりしきりにヒツジを撫でたりしている客は意外に多く、わざわざ中国や東南アジアから訪れている人たちもいた。ぼくも動物は嫌いではないから、おずおずとヒツジの背中に手を伸ばしてみる。

伊丹に住んでいた頃、家族でどこかの牧場を訪れたことがあり、多分ここだと思うのだが、何しろ三歳か四歳頃のことなので定かではない。実家のアルバムにはコメント付きで写真が残っているはずだが、今そんなことを言ったって仕方がない。とにかくヒツジはそのとき以来である。子供の頃のぼくは臆病だったので、触るのはおそらくこれが初めてだろう。案外なけなしの勇気を振り絞ってつつくくらいしたかもしれないが、どちらにしろ覚えていないのだから初めてみたいなものだ。ヒツジという動物はあの外見からぬいぐるみのような手触りだろうと想像していたが、これがまったく違った。ウールというだけあって感触としては厚手のセーターが一番近い。そして順番に他の動物にも触っていくと、種によって触り心地がかなり異なり、これにも妙に感心した。殊にブタなどは毛というより細い針金のようである。そういえば豚毛のブラシは堅いものねと、妻も感心しながら言っていた。

ウサギからウシからちょっと珍しい在来馬までくまなく愛でて、軽く休憩して牛乳を飲むと、もう日が傾きかけている。ここでは15時半にシープベルを鳴らし、ヒツジを畜舎に入れて給餌することになっており、タイミング良くその様子も見物できた。広大な敷地のあちこちに散らばったヒツジがこの鐘ひとつで勢いよく戻ってくるんですよと飼育員のお姉さんが子供たちに説明していたが、食事の時間はヒツジの方できちんと心得ているらしく、ぼくたちが着いた頃には既に牧場中のヒツジが畜舎の前で列を成していた。それでも入り口の前で待機している群れが合図の鐘と共に建物に突貫していくのはなかなかの見ものであった。

それから少し買い物に寄って帰宅すると17時前で、ちょうど昨日から始まった将棋名人戦を観戦しつつ、ゆるゆると作業の続きをした。自分のペースで仕事をし、気ままに過ごす動物たちを眺めてくると、多くの人々が日々あくせくと過ごさねばならぬ現代社会がどこかおかしいように感じられるとでも書くのかなと人は思うだろうが、どっこいそんなことはないのである。これで教訓めいたことなど書こうものなら天罰の三つくらい当たりかねない。

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2013年10月12日

不思議な話

「いま不思議体験をした」と妻が言うので何かと思ったら、ひとりでにPhotoshopが起動して、しばらく前に死んだ三毛猫の写真が勝手に出てきたという。画面を覗き込んでみたら、それはファイルサーバの大分奥の方にある写真で、なかなか偶然開くようなものではない。何かの前兆だろうか、という話になった。そんな話になったのは心当たりがあったからだ。老猫が一匹、脚に悪性腫瘍を作って、妻の実家に厄介になっていたのである。最近何かと忙しく東京と神戸を往復したりなどしていたもので、うちに置いておいても十分な世話をしてやれない。それで、申し訳ないことだが、預かってもらっていたのである。悪性腫瘍というのは要するに癌で、外科手術でもしてやらない限り余命は長くない。預けたのが二ヶ月ほど前だし、先日様子を見た感じではいよいよ危ない雰囲気だった。件の三毛猫はその老猫と仲が良かった子で、これは彼女を迎えに行ったのかもしれないねなどという話に自然となった。

そんなことがあった翌日、預かってもらっていた老猫が死んだ。

妻の家の女系には割とそういう話が多いらしく、ぼくも何度か聞いていた。誰それが亡くなる直前に夢枕に立ったとか、虫が知らせただとか、いわゆる霊とかいうものをリアルに感じざるを得ないエピソードに事欠かないそうだ。ぼくは霊感どころか勘も鈍いのでそういう類の話とは本当に無縁で、やはりどこかうさんくさいというか、有体に言って何かの冗談くらいに思っていた。のであるが、今回のようなことを体験すると、これはもしかするとという気分になる。

死んだ老猫は血統書などというものが付いていて、結構な数の仔猫を産んだ。彼女自身、かなりの美猫だった。美しかったがあまり頭はよろしくなく、すぐに粗相をする子だった。と、ぼくも妻もそう思っていたのだが、最後を看取った義母の見るところによれば、実はむしろ賢かったのではないかということである。とても綺麗好きで、それ故に他の猫とトイレを共有するのが嫌だったのかもしれないと言っていた。今となっては確かめようもない。

死んだ翌日、荼毘に付した。柏原市の葬祭場では人間はもとより犬猫も個別に火葬にして、しかも骨まで拾わせてくれる。何とも小さく華奢な骨だった。急なことで骨壺が無く、とりあえずタッパーに入れて持って帰ってきて、あらためて近くの店で陶器の壺を買ってきた。入る分だけこれに移して神棚に祭っておき、入らなかった分は田舎に持って行って先に行った猫たちのところに埋めようと話しているが、忙しさにかまけてまだ何もしていない。そうしたら、何の前触れもなく冒頭の三毛猫がまた出てきた。あまり遅いので今度は催促に来たのかもしれない。世は不思議に満ちているのだ。

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2013年03月27日

夫婦岩

二つ並んで鎮座しているものを夫婦ナントカと名付けるのは日本人の習性のようである。外国にそう呼び習わされているものがあるのかどうか、不勉強なようだがぼくは知らない。

先月、結婚記念日に合わせて妻と淡路島へ行った。そこで訪れた伊弉諾神宮には夫婦の大楠というのがあった。これは連理木で、確かに夫婦というにふさわしい。昨日は夫婦岩というのを見た。夫婦岩と呼ばれるものは全国にあるようだが、昨日見たのは伊勢二見浦のものである。二見浦の夫婦岩は大小二つの岩が海面に顔を突き出しているもので、もちろんどちらかが夫でどちらかが妻ということなのだろうが、一体どちらがどちらなのか、夫婦で眺めながらそれぞれ考えてみるのも面白かろう。

津は伊勢で持つなどというが、確かに伊勢神宮、特に内宮の人出は平日とは思えない程である。休日はどうなってしまうことだろうと思う。このようなことを書くとお前も平日に参拝したくせになどと人は言うだろうが、昨日伊勢辺りにいたのはそれなりに理由がある。一昨日は義弟の結婚披露パーティで名古屋にいたからである。一昨日名古屋にいたからといって翌日伊勢に行く必然もないのだが、伊勢には以前から行きたいと思っていたし、せっかく近くまで行くのだからというので寄ってきたという次第である。もっとも、名古屋から伊勢は近いといっても遠い。近いと思っているのがぼくと妻だけだからかもしれない。

義弟のパーティは、個人のプライバシーに関わることだからあまり詳しくは書けない。詳しくは書けないが、何しろピアニストとシンガーの新郎新婦のことだし、ジャズ喫茶を借り切って会場としていたから、二人の小さなコンサートを間近で楽しむことができた。招かれているのも親族と彼らのごく親しい友人たちだけで、気兼ねしないという訳にはいかなかったけれど、世の結婚披露宴のようなタイクツな時間がひとときも無かったのはとても良かった。義弟たちはこれから二人であちこちで演奏したいと言っていたから、近いうちに紹介することもできよう。

日本人が何かに付け夫婦と呼びたがるのは、ひょっとすると我々の神話に根源があるのかもしれない。夫婦神や人類最初の夫婦の神話伝承はそれこそ世界中にあるが、イザナギとイザナミのように創世をした例はあまり無い。夫婦和合を妙に重視する精神性はやはりこの辺に起源があるように思うが、どうだろうか。

イザナギとイザナミは偉大な夫婦というべきだが、割と早くに死別してしまい、そこは神様だけあって一度は再会したものの、結局は喧嘩別れしてしまった。義弟夫婦も二柱のようにこれから色々と育んでいくことと思うが、是非とも後半は見習わず、二人末永く仲良く過ごせることを願っている。

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2012年12月03日

排水溝顛末

二、三週間ほど前から、風呂の洗い場の排水が流れにくくなった。ぼくが入るときだけかと思っていたらそうでもないようなので、これは何か対策を講じなければと思った。

ホームセンターなどに行くと、排水管の詰まりを取る薬剤というのがいくつか並んでいる。どんな汚れも溶かして流すなどと恐ろしげなことが書いてある。だがうちの排水管が詰まって流れにくくなっているのなら、この大袈裟な文句もなかなか頼もしく思える。それで、買ってきて早速トロトロと入れてみた。二時間ほど待って流してみると、とりあえずその分は何事もなく排水されていった。これは直ったかと思って風呂に入ると、やはり頭を洗っているうちに流れが悪くなる。直っていないのである。

次に手を付けたのが、排水口の蓋にくっついている半球状の物体である。これを碗トラップというのはこのとき初めて知った。排水管とうまく組み合わさることで水による一種の封印となり、下水から上がってくるニオイなどを閉じ込めるための構造なのだそうだ。とにかく、これがどうにかなっている、つまりうまく組み合わさっていないのではないかと疑った訳である。そこで、ゆるんでいるのかとネジを締め直してみたり、逆に締めすぎたかと少しゆるめてみたり、あるいは排水管の周囲の、本来これが収まるべき場所が詰まっているのではないかと掃除をしたりしてみた。しかし、どうしても良くならない。

仕方がないのでだましだまし使っているうちに、ふと庭にあるマンホールから水が噴き出しているのに気付いた。トイレ以外の排水が集まってくる溝の蓋で、すなわちそういった排水が溢れていることになる。ちょうど洗濯機を回していたときのことだったので、それが終わってから、今度は浴槽の水を抜いてみた。すると出るわ出るわ、都合四カ所ほどのマンホールから次々と水が溢れてくる。慌てて風呂に栓をして、これはどうしようもないかと思って水道工事店に電話をした。

職人さんの来るのを待つ間、万事まず自分でやってみなければ気の済まない妻が、溢れているマンホールを片っ端から開けてみていた。排水溝のマンホールは台所の裏あたりから、風呂の裏を回って駐車場を抜けるように並んでいる。それらのすべてから水が溢れている訳ではなく、あるマンホールを境に、溢れているものと溢れていないものとに分かれていた。で、その境となっているマンホールを開けたとき、妻はなかなかに大変なものを目にすることになったのだった。

もったいぶっても仕方がないからさっさと書いてしまうが、そこには、風呂から流れた石鹸や皮脂や髪の毛といったものが絡まって固まった末に謎のヘドロとなり、大量に堆積していたのである。すなわちこれによって排水溝の流れが悪くなり、風呂の排水の流れが悪くなり、マンホールから水が溢れていたのだ。それを見るなり妻はバケツを持ってきて掃除を始めた。だが、いくら取ってもなかなか底が見えない。かなり長く頑張って八割方取ったところに、ようやく職人さんがやってきて、一目見るなり「これが原因ですね」と言った。ドンピシャだった訳である。

それから、掃除を代わりながら、職人さんがいろいろと排水溝の仕組みを説明してくれた。この詰まっているポイントはわざわざこういったゴミをトラップするように作られていること、その掃除の仕方などである。なぜここでゴミを捕らえるようになっているかというと、この先でトイレの排水と合流するからなのだそうだ。合流してから詰まったらどんな惨事になるかは容易に想像が付くので、これには納得せざるを得なかった。掃除と説明を終えて、残っていた浴槽の水を流してみると、まるで嘘のようにスムーズに流れていった。これでようやく安心して風呂に入れる。作業料金は税込み4,200円。もう少し高いかと思ったが、案外安く済んだ。妻がある程度掘り返していたのもあるかもしれないが、何より暮らしが安心な業者に頼まなかったのが良かったのかもしれない。こういうのはやはり地元の業者に電話するのが一番である。

それにしても、排水溝が掃除しなければならないような代物だとはついぞ思い付きもしなかった。流せば勝手に流れていくのが排水だと思っていた。これが常識なのかそうではないのかぼくには判断しかねるが、二年やそこらであんなに皮脂がたまるものだろうかという気はしている。

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2012年04月11日

名人戦についてのお詫びと訂正

今ニコニコ動画を見ていたら、一昨年に三浦八段が羽生名人に挑戦したことを思い出した。ぼくもネットの中継で見ていて、確か全局とも横歩取りという意地のぶつかり合いだったと記憶している。この十年間、名人位にあるのが羽生さんか森内さんかというだけで、よく考えたら、よく考えなくてもそうなのだが、その事実は挑戦者もまた羽生さんか森内さんでしかないということと等価ではなかった。ここにお詫びして訂正いたします。

それはともかく第一局から流石の熱戦である。引き続き観戦していきたいと思う。

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2012年01月02日

謹賀新年2012

本年もどうぞよろしくお願い申上候。

例によってほとんど年賀状を出していない白林檎であるが、昨年末は本格的に慌ただしく、客先に出す分ですら大晦日に投函するという有様であった。そういった訳で親戚筋を含め、個人的な挨拶がまだである。今後ぼちぼちと出していければと思っているが、心配されるといけないから一応ここで事情を申し述べておく。

2011年は激動の1年だった。震災以降、日本のあちこちで様々なことが変わった。のみならず、世界では経済状況がますます不穏になり、また国内外で大きな訃報も相次いだ。年末年始はひとつの区切りではあるが、それでも今日は昨日の延長線上にある。まだまだ先の見えない時間が続くのだろう。それでも少なくとも心の持ちようくらいは新たでありたいものだ。

何にしても今年も頑張っていこう。

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2011年10月26日

北杜夫氏、ご逝去

スティーブ・ジョブズが亡くなって、Cの生みの親のひとりであるデニス・リッチーが亡くなって、LISPを考案したジョン・マッカーシーが亡くなったと思ったら、今度は作家の北杜夫氏が亡くなったとの報。ここのところの訃報の多さは一体どうしたことだろう。マッカーシーまでは「時代」というような言葉で済ませられたが、北氏ご逝去の知らせによる喪失感は個人的にどうしようもなく大きい。中学校に入ってすぐ、氏の『どくとるマンボウ航海記』を手に取っていなかったら、ぼくの人生は随分と違ったものになっていただろうから。

読者のひとりとして、謹んでお悔やみを申し上げます。今夜あたり何か読み返そう。

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2011年09月06日

台風12号

紀伊半島を襲った豪雨はあちこちに大変な被害をもたらし、日を追うごとにその惨状が明らかになってきている。被災された皆様には心からお見舞いを申し上げたい。

とはいうものの実はお見舞いなどと悠長なことを書いている場合ではないのである。カーブミラーや道路標識の首の部分まで水面が来ている写真で一躍全国にその名を知られることになった三重県紀宝町には、妻の両親と祖母が住んでいるからである。

あの辺りは台風がよく上陸する土地で、大雨が降ると近くの川からはあっけなく水が溢れ出し、標高の低い地域は比較的頻繁に冠水する。冠水どころか床上まで浸水することもよくあるようで、台風が過ぎた後に家財を屋外に持ち出して乾かしている光景を白林檎も見たことがある。だが妻の親戚の家があるところまで水が来るのはかなり稀で、さらに水に浸かったとなるとここ90年間では一度あったかなかったかくらいのことだったようだ。

とりあえず人間は皆無事ということで安心しているが、何しろ泥水が屋内を蹂躙した訳だから大変なことになっているだろう。手助けに行こうにも道路も電車も寸断されているのでどうにもならない。最低限のインフラが一日も早く復旧してくれればと思う。

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2011年07月16日

エアコンを消すくらいならテレビを消すべき

うちは基本的にほとんどテレビを点けない。なぜならアンテナ線を繋げていないし、ひかりTVの類にも入っていないからだ。それならどうしてテレビなんぞがあるのかというと、ゲームをしたり、DVDやBDに収録された映像コンテンツを鑑賞するためである。つまり、遊ぶゲームや見たい映画ないしアニメがなければ、テレビが稼働することはないのである。

ときどきRPGを買ってきて遊んだりすると、その月の電気代が途端に高くなるので面白い。自宅仕事な上にその仕事というのがパソコンをフルに使うものだから、もともと二人暮らしの割には電気代は高めではあるのだが、それでもテレビが多めに稼働している月は明確に電気代が上がる。条件を揃えて比較した訳ではないが、大体二、三千円は違う。まあこれにはPS3の電気代も入っているから、純粋にテレビだけを考えればもう少し安いのかもしれないが。

今年の4月に野村総研が出したニュースリリースによると、テレビを控えることによる節電効果は、エアコンを止めたり照明をこまめに消したりなどといったものを抑えて、ダントツであったそうだ。まあそれもそのはずで、近頃の大型テレビは、たとえ液晶であろうと結構な電力を食うのである。従って、エアコンを我慢してくだらぬ番組をダラダラと見るよりは、快適な室温に設定した部屋で静かに本でも読む方がいろいろとマシであるということになる。

原発がどうとかこうとかで、この夏は関東のみならず関西も電力供給が厳しくなりそうだ。万が一停電が起きれば、暑い夏がさらに暑くとかいう程度のハナシではなくなる。家庭で最も困るのは冷蔵・冷凍関係だろうが、家庭だけでなく病院や企業への電力供給も止まるから、大袈裟でも何でもなく人命に関わる。さらには、停電から復旧するときの条件によっては異常電圧が発生し、コンセントに繋がっている電気機器が故障する恐れがあるという話もある。

日本中でテレビの稼働時間をせめて半分にするだけで一体どれほどの節電効果になるだろうかと、想像せずにはいられない。とはいえ、先述のような事情をテレビで流せないのは仕方がないところなので、せめて口コミでだけでも、テレビを控える風潮が広まってくれればと思う次第である。

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2011年06月10日

バラが来た

昨日バラの苗が届き、早速花壇に植え付けた。今回の苗はどれもピンク系の品種で、それぞれ芳純、イントゥリーグ、アナスタシアという。芳純が最も濃いピンク色で、この順に少しずつ淡い色になっていくのだが、アナスタシアというのは数あるバラの品種の中でもちょっと珍しい部類に入る。わかった風なことを書いているが、実はイントゥリーグはどうしても名前を思い出せず、たった今必死で検索してきたところである(相方からツッコミが入ったので追記。最も濃いのはイントゥリーグだが、そもそもすべて色の系統が微妙に違うので、一概に濃淡は論じられない由。ややこしいものである)。

園芸や農業の方面にはコンパニオンプランツという概念があるそうだ。一緒に植えると作物に良い効能があるとされる植物のことで、病害虫を防いだり、香りや実りを良くしたりしてくれるという。一説によると、ガーリックなどはそれこそ万能に近い効能を備えている。

ちょっと調べてみたらラベンダーもバラのコンパニオンプランツとされているようなので、一号花壇に植えていたのをバラのそばに移植した。ラベンダーというと安眠効果という印象が強いが、その香りには防虫効果もあるらしい。また花の色合いもピンクと紫で相性が良いようだ。空いた一号花壇にはまたラベンダーを植え、小道を挟んでちょうど向かい合わせになるように配置するというのが相方の計画である。

表の花壇は今が花盛りで、青や紫や白の花が競うように咲いている。殊にサルビアの青が美しい。その頭上にあるカシの生垣の根元には、これまた青い花を付ける木立性のローズマリーが植わる予定になっている。

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2011年06月07日

バラの土

そのまま使える園芸用土というのがあるが、これは安くて手軽な反面、品質はそれほど良いとは言えないものであるらしい。商品にもよるのだろうが、少なくとも我が家の近所で販売されているものは、成分のほとんどが未完塾っぽい腐葉土で、花壇に使用するよりむしろカブトムシを飼うのに向いていそうである。

当初、うちではこのお手軽品を使っていた。ところが、これに植えたナントカいう花の苗がひとつ、コガネムシか何かの幼虫に根を食われて枯れてしまった。この事態に相方は大いに憤慨し、例によって数日間悩み抜いた挙句、出来合の配合土は以後用いてはならぬという大方針を打ち立てた。もっとも、そもそもの問題として、バラには出来合の土の中でも比較的高級なものが必要となる。それなら自分で配合した方が安く、しかも品質の良いものを用意できるからというのも理由であるようだった。

ぼくはどちらかというと園芸には無縁な人間で、何かを植えて育てるなどという事業は小学校卒業以来とんとやったことがない。従って花なんてものはテキトーな土に種や苗を埋めてしまえば、あとは水さえやれば勝手に育つものだと思っているが、なかなかそうもいかないらしい。特にバラはさすが園芸的改良を連綿と重ねられてきただけあり、花を咲かせてやるのに結構な手間がかかるのみならず、植え付ける土の嗜好にもごくうるさい。それでバラ専用の土などというものが、普通の土の3倍程度の価格で売られている訳である。

さて、今回作った土の材料は、赤玉土と完熟腐葉土、パーライト、ゼオライト、馬堆肥にそば殻堆肥、そば殻燻炭、それからニームケーキという妙な粉末。ほとんどはホームセンターかネット通販ですぐに見付かるが、そば殻関係はちょっとマニアックらしく、買うのに少し苦労していた。これらをちょうどいい具合に配合して混ぜ合わせるとバラの培養土が出来上がるのだが、くたびれる代わりに、かかる費用が出来合の専用土の半分以下で済む。

土を入れる前に、花壇の中を少し掘り下げる。何でもバラを植えるには地表から50cmくらいの深さの穴が必要なのだそうで、花壇に土を入れただけではその深さまで達しない。そこであらかじめ少し掘っておかねばならない由だが、まったくもって手間のかかる花である。仕方がないからしばらく掘っていたが、随分と石が出てくる。それはもう困惑するほどゴロゴロ出てくる。また、どこかから何かの根が伸びてきており、これも掘りにくい要因となっている。それでも何とか15cmほど掘り下げ、次は出た土を篩にかけて戻してやるのだが、ここでもまた小石がいくらでも出てくる。実に石の多い土地である。

掘り下げる工程でちょっと苦労したが、その後は早かった。分量を見ながら材料を花壇に放り込み、鍬で混ぜるだけだからだ。ただ、見積もっていたよりも多く土が必要そうだということになり、途中で追加の材料をホームセンターに買いに走ったりなどしていたので、ちょっと時間がかかってしまった。この辺はどうもまだまだ手際が悪い。ともあれ自家製培養土は、とりあえず見た目と触感に関しては、なかなか惚れ惚れする出来映えとなった。性能まで満点かどうかはすぐにはわからないが、その辺りも含めて土いじりの楽しみということになるのだろう。

ところで肝心のバラの苗だが、一昨日くらいに注文を出し、これは届けられるのに少し時間がかかるそうだ。土に混ぜたニームケーキを熟成させるのに一週間くらい寝かせておかなければならないらしいので、まあ調度いいだろうと相方が言っていた。このニームケーキというのがまた曰くのあるシロモノなのだが、それはまた日を改めて。

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2011年06月03日

アシナガバチなんて怖くない

4日ほど前に、二つ目の花壇を作った。近畿地方もいつの間にか入梅していたが、ここ数日は、小雨がちょっと降ったくらいで、割とおだやかな天気が続いている。湿度はそこそこあるものの、そろそろモルタルも乾いた頃だろう。

ここに何かひとつバラを植えようというので、相方が昼といわず夜といわず品種の見本ページとにらめっこしている。大分候補も定まってきたようだが、聞いたところによればバラというのは数百だか数千だかの品種があるそうで、なかなかこれと決まらないようである。府中の実家では父がバラに執心しており、またうちの近所にある獣医の軒先には、いくつもいくつもバラの鉢植えが置いてある。バラというのは何か人の心を魅了する力に長けているらしい。その代わり純血種の猫の如く体調管理には気を遣うようで、この二号花壇に入れる土のことでも相方は頭を悩ませていた。

ところで、この家には前だか前の前だかの住人が残していった木製の柵やら何やらが庭の至る所に残っており、風雨にさらされて朽ちるままになっている。ちょっとずつ取り除いてはいるが、なかなか終わらない。特に花壇を作った辺りには扉状にラティスが置いてあり、ここにアシナガバチが巣材を求めて飛んでくる。

アシナガバチはスズメバチの仲間で、刺されると死ぬこともある。だがスズメバチほど攻撃性は高くなく、近付くと威嚇はしてくるものの刺してくることは滅多にないという(もちろん巣を攻撃したりすればハナシは別である)。その一方で仔虫を育てるためにアオムシやケムシを狩るので、どちらかといえば益虫に分類されている。

従って飛んできても無闇に恐れることはなく、また先走って殺虫剤をぶっ放す必要もない。ぼくはハチ全般が苦手で、ハチどころかアブが飛んできても逃げ惑うくらいだが、上のような理由でアシナガバチについては積極的に保護していこうと心に誓った次第である。

とはいうものの音を立てて目の前に飛んでこられるとやはり怖いので、なるべく遠くから見守ることにしたいと思う。

posted by 白林檎 at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 白林檎的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月26日

花壇を作る

相方がレンガを積んで花壇を作るというのでその工事を手伝ったりしている。ホームセンターなどに行くと積まれたレンガ風のブロックがあり、並べるだけでレンガを積んだような外観の花壇を作ることができるというのでやや人気を博していたりするが、生憎うちの相方はあらゆる場面で凝り性なもので、そういった商品は最初から選択肢から除外されているのである。

レンガを積むにはモルタルが要る。というので、相方の父上から最低限の道具を借りて、庭でモルタルを作る辺りから作業が始まる。モルタルの材料はポルトランドセメントと砂と水、それから大量の人力である。これらを適量混合することでモルタルが出来上がり、それで目地を作りつつレンガを積んでいくのだが、これが幼い頃の泥んこ遊びを彷彿とさせて、思いの外面白い。乾いたら取り返しがつかないほど堅くなるという一点を除けば、本当に泥遊びと変わらない。

このようにして昨日、とりあえず最初の小さな花壇ができた。先ほど土を入れて、ここにはラベンダーの苗を植えた。無事に大きくなってほしいものである。

庭には同様の花壇が、大小様々な形でもう数個設けられる予定であるらしい。最後の花壇が完成する頃には、少々セメントを練ったくらいでは筋肉痛にならない体も出来ているだろうか。

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2011年03月12日

地震

大地震から一日が経った。東北地方が大変なことになっている。亡くなられた方には心からお悔やみを申し上げると共に、被災地域の一日も早い復興を願ってやまない。もっとも、水が引かないことには復興も何もないから、元の通りになるにはしばらく時間がかかるかもしれない。

東京や横浜でも結構揺れたようで、交通機関を中心になかなかの影響があったようだ。父は仕事で、母は所用で外出しており、父は社用車で移動できるから何とかなるだろうが母はどうだろうなと心配していたところ、いかなる魔法を使ったのか母の方が先に自宅へ戻っていた。一方、父は会社の同僚数人と自動車に乗り込み、順番に各自の家を回ったそうだが、結局移動には一晩中かかったそうで、電車もだが道路の方も聞きしに勝ることになっていたようである。

すぐ下の弟は地震発生当時やはり仕事で出ていて、そこからアパートまでマイカーで帰ったそうだが、こちらもすごい渋滞だったそうだ。被災地の方々とは比べるべくもない程度の影響ではあるが、それでもこちらとしては気を揉まされた。何しろ連絡がさっぱり通じなかったからだ。最終的に携帯電話網が復旧の兆しを見せたのは、日付が変わって今日の夜明け前くらいだった。

関西の方にも少なからぬ影響があった。三重や和歌山には大津波が押し寄せてきたし、最初の地震では大阪のビルも結構な横揺れを感じ、よもや震源が遠く離れた東北にあるとは思わなかったそうだ。

ところが、神戸では少しも揺れを感じなかった。揺れどころか、当初は地震の「じ」の字も感知できなかった。ぼくと相方が震災に気付いたのがメディアによる速報だったくらいのもので、まあ港の方には夕刻少々津波が来たようだが、大きな被害はほぼ無いと言って良いと思う。ただ、時を追うごとに、被災地は言うに及ばず日本全国にじわじわと影響が広がって行くのは空恐ろしい感じがした。いつまで経っても余震が収まらず、さらには震源が次第に南下していたのも実に嫌な感じであった。

そんな中、今日は福島の原発がエラいことになっている。原理的にチェルノブイリの事故のようなことにはならないそうだが、最悪の場合にはスリーマイル島の事故程度のことにはなりかねないという。今のところ最悪の事態には向かっていないようだが、今後も油断はできない。心身ともに削って対応に当たっている現場の方々には本当に頭が下がる。頑張ってほしいものである。

この災害で、NHKをはじめいくつかのテレビ局が、ニコニコ動画やUSTREAMで自局の報道のネット配信を行っている。最初期は一般ユーザーの無断配信だったのだが、NHKの担当者が独断でこれを許可し、さらには自前での配信に繋がったとのことで、担当者氏の英断には喝采を送りたい。これが迷走を続けるテレビ業界の転機となればと思う。

また、電話網が混乱する中、Twitterによる情報共有にも目を見張るものがあった。インターネットにはまだまだ未知の力が秘められている。ただ、どうしてもデマ情報も多い。いい加減な情報には踊らされないようにしたいものである。

地震はひとまず収まったが、救助や復興はこれからが本番となる。義援金を贈るなど、微力ながら何か手助けをしていきたい。

posted by 白林檎 at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 白林檎的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月10日

謹賀新年

遅くなったが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げる。

先日書いたように神戸に引っ越したのだが、去年以前に頂戴した年賀状を柏原の方に置きっぱなしにしていた関係で、今年はほとんど年賀状を出していない。もらった人に対して返事を書くくらいしか送っていない。年賀状でしか挨拶をしない人もいるのでちょっと気が引けるが、来年以降もほぼ同じような方針になると思う。

とはいうものの、実のところハガキを作ること自体はそれほど嫌いではない。だから年賀状という文化が廃れていくのを寂しいと思う気持ちもある。しかし考えてみれば年始の挨拶にハガキを送るなどというのは言うまでもなく郵便制度創設以降の風習であって、それほど伝統的なものではない。自分が生まれるより前からあるから、何となく伝統文化のような気がしているだけだ。年賀状が普及するより前は年始の挨拶回りをあちこち訪ね歩いてしていたのだろうし、挨拶の形態が時代とともに変遷していくのは仕方がないというか、当然のことなのだろう。年賀状だってその流れから逃れることはできない。

今年の最も大きな話題といえば、やはりテレビのアナログ停波だろうか。地デジがここまで普及していない現状で本当に止めるのかどうか知らないが、テレビというのは無ければ無いでそれほど困るものでもないので(実際、我が家ではほとんど困っていない)、まあどうでもいいというのが正直なところだ。ただ、直前になって「やっぱり停波しません」ということになって、ちょっとした騒動になったら楽しそうだなと、意地の悪い興味があるだけである。実際、止めることで生じる混乱よりも、止めないことで巻き起こる騒動の方が少なからずマシだと思うのだが、どうだろう。

ともあれ、今年は良い一年になってほしいものである。

posted by 白林檎 at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 白林檎的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月22日

外壁の塗装が終わった

突然だが、神戸に引っ越した。引っ越したといっても事務所は前の家にあるし、事務所どころか数々の所持品もそちらへ置いたままであるので、比較的頻繁に行ったり来たりしてはいる。そんなことを6月頃から始めていた。開始した当初は拠点がまだ柏原で、神戸には荷物を運ぶついでに泊まりに来ていたという感じであったが、8月末にこれが逆転し、大体運搬も落ち着いたのが10月頃である。このブログがほぼ放置されていたのはおよそ左様な事情からである。本当はサボっていただけなのだが、そういうことにしておく。

現在住んでいる家は父の持ち家である。ぼくが小学生の頃、世人にとって土地付きの一戸建てというのはなかなか購入が難しい代物であったそうだ。もちろん今でもキュウリを買いに行ったついでに買い求めることができるようなものではないが、金額的なこと以上に、当時はモノが払底していたらしい。そこでどうなるかというと、抽選になるのである。当選すると、オプーナではないが、「良くぞ引き当てた。家を買う権利をやろう」という按配である。父はクジ運のいまひとつな星の下に生まれたようで、あちこちのニュータウンを巡り歩いたものの、この「家を買う権利」とやらがなかなか当たらなかった。それがとうとう神戸のこの家を購入できることに決定し、いざ思い切って購入したと思ったら半年後に東京へ転勤となり、家族共々そちらへ引っ越しが決まった。以来二十年に渡って他人に賃貸し続けたという、いろいろ言い尽くせぬ想いの詰まった物件なのである。

築二十年というと普通かなりガタが来たりするものだと思うが、この建物は比較的頑丈に造られているらしく、建具に使用感があるのを除けば、実用上何の問題もない。消耗している辺りを修繕してやれば短くともあと二十年は快適に生活できそうだ。という訳で、まずは壁くらい塗ってもらえと父から指令があったので、近所のホームセンターに塗装を依頼した。ここ数日間というもの家の中にいると相当にやかましかったが、依頼した甲斐もあり、壁だけを見るならまるで新築のようである。

二十年間ほったらかしにすると庭木もすごいことになる。何しろ向こう側が見えない。しかしこちらは相方のご両親がかなり力を入れて剪定してくださったので、かなり見晴らしの良い、気持ちの良い庭になった。

この庭には花壇があって、先述の半年だけ住んでいた頃、そこにはミニトマトを植えたものだった。最初の収穫こそ皆で喜んで食したが、ミニトマトというのはシーズン中いくらでも生り続ける。我が家において、ミニトマトを庭に植えるのは一株だけで良いという結論に達するのにそう時間はかからなかった。

相方がこの花壇で何か野菜的なものを育てたがっていたので、以上のようなエピソードを話して聞かせたところ、どう伝わったものか却ってやる気が出てきたようである。アスパラガスを作りたいと言うが、あれは放置しておくと大変なことになるらしく、その様といえば食べきれぬほどできるなどという甘いものではなく、まさに惨状というにふさわしい事態になるそうだ。ただプランターで育てればかなりマシであるようなので、挑戦するならそのようにすると決めたようである。となると、花壇のスペースは空いたままである。ぼくとしては、先日見かけたしいたけの栽培キットを試してみたいのだが、日当たりが良すぎてダメだろうか。

posted by 白林檎 at 18:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 白林檎的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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