2011年10月06日

Steve Jobs, 1955-2011

数日前、七冠馬シンボリルドルフが死んだ。トウカイテイオーの父馬であるし何といっても偉大な馬であったから、ブログに何か書きたいなと思っているうちに、今度はもっと大きなニュースが飛び込んできた。アップルのスティーブ・ジョブズが亡くなったというのである。今日のネット上は1日その話題で持ちきりだった。

既に9月には死亡していたとか、真偽のよくわからない様々な言説が飛び交ったりもしたが、その中でひとつだけ、おそらく誰かが冗談半分に言い出した「iPhone4SはiPhone for Steveである」というのは世間に記憶されても良いのではないかと思う。ぼくは今のところスマートフォンの類を持つ予定はないが(スマホを持ち歩くくらいならMacBookを持ち歩くから)、iPhone4Sは買っても良いかなとちょっと考えてしまったくらいだ。

アップルのトップページに彼の遺影が飾られている他、マイクロソフトのビル・ゲイツをはじめ、あちこちで哀悼の意が表されているが、個人的には、オバマ大統領のコメントの中にある次の一文がすべてであるように思う。曰く、「世界の多くが、ジョブズ氏が発明した機器で彼の死について知ったという事実こそが、彼の成功への何より素晴らしいはなむけだろう」(Digital Todayより引用)

ぼく自身は、彼がアップルを引退するときに書きたいことはあらかた書いてしまったから、改めてここで述べるようなこともほとんどないのだが、ただそのときの結びとした「もう一波乱」が永遠に実現しなくなったことは本当に残念でならない。氏のご逝去を心より悼みたいと思う。合掌。

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2011年08月26日

スティーブ・ジョブズの引退

このご時世、いい人は成功しにくいとかいう話がある。他人の意思を自分の意思と同等あるいはそれ以上に尊重するというのが「いい人」の要件だとすれば、まあ一面では真実なのかもしれない。見方を変えれば、「いい人」はリーダーシップにはやや劣るということになるからだ。といって、主張が強ければ良きリーダーになれるかといえばそうでもなく、あまり周囲から反感を買うようでは指導者失格である。この辺はなかなか難しいところだが、その主張が大勢の目に魅力的に映るなら、多少強引でも人は付いてくるだろう。

少し前にも触れたが、スティーブ・ジョブズはかような「強いリーダー」の典型であったようだ。かつて社会現象にもなったiMacにせよ近年のiOSデバイスにせよ、さらにはMacintoshシリーズそのものにせよ、彼の強烈な個性から誕生したものである。そもそも、ジョブズがスティーブ・ウォズニアックを半ば強引に誘ってApple Iを世に出さなければ、アップルという会社そのものが存在しなかった。だから今回のCEO辞任は、ジョブズがアップルのCEOでなくなったというより、アップルがジョブズの会社でなくなったという方が正解に近いように思う。

もっとも、アップルは過去に一度、ジョブズの手を離れていた時期があった。彼のようなタイプはスタートアップ期や混乱期には非常に強力に機能するが、それが一段落するとその独善性を煙たがられることがある。まさにそういう理由で、ジョブズは自ら立ち上げた会社を追われるという憂き目にあったのである。その後彼がどうしたかというと、新たな会社を立ち上げ、そこでの成果を手に混乱期のアップルに舞い戻ってiMacやMac OS Xを世に送り出すことになるのだが、その辺はいくらでも書籍が出ているからここでは割愛する。

冒頭の話に戻る訳ではないが、組織の安定期のトップには、どちらかといえば「いい人」タイプ、より正確に言うなら調整型が望ましいようである。ジョブズ型が二代続くと、二代目の方は何とか自分の個性を出そうとしてあらぬ方向に奮闘し、甚だしい場合には前任者の業績を否定するような事業を無理に創造した挙句、あえなくぶっつぶれることがあるからだ。その意味で90年代のアップルは不幸だったし、今回のCEO後任にティム・クックが選ばれたのは今後しばらくアップルの安泰を保証するものであるように思う。革新の後には充実が必要なのである。

問題はその次の段階だ。今現在、いくらアップルが魅力的な商品を多数抱えているからといって、その優位がいつまでも続くことは決してない。だから安定期の終わり頃にまたジョブズのような革新的なリーダーが出てこなければ、アップルはそう遠くない未来において過去のメーカーになってしまうだろう。90年代末にはジョブズがまだ壮年だったから良いが、次はもうおそらく戻って来ることはできないのだ(まだアップルを去った訳でもないけれども)。

まあそうなったらなったで、今度こそアップルがどこかに買収されるだけではあるのだが、あのリンゴのロゴは好きだから、アップルには末永く頑張ってほしいものである。あと個人的にはまたジョブズが会社を引っかき回して追い出され、妙なことをおっ始めるのに期待。

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2011年08月23日

MacBookのバッテリ交換

いつの頃からだったか詳しくは覚えていないが、ある世代以降のMacBookにはクラムシェルモードという機能がある。蓋を閉じてスリープにした状態で外部ディスプレイや外部キーボードをつなぐと、あたかもデスクトップマシンの本体のように使えるというものである。クラムシェルモードのおかげで、普段は自室でデスクトップのように使い、気分を変えたい時にはいつもの環境をそのまま──モニタの広さやキータッチは変わるからそのままとはいかないが、そういったハードウェア環境以外はそのまま持ち出すことができ、大変便利なのである。

ここまで書けばおわかりだろうが、もちろん白林檎はこのようにして使っている。しかも出不精なので、我がMacBookの稼働時間の大半は電源コード繋ぎっぱなしのクラムシェルモードである。しかしながら、かような使い方は製造元としてはあまり奨められたものではないらしい。ノートパソコンのバッテリは充電と放電を繰り返すことを前提として設計されており、常に電源コードを接続して使っていると過充電が起きてしまうのだという。要するに、バッテリの劣化がより早まるのだそうだ。

これを避けるには大まかにいって二つの方法がある。ひとつは、電源コードを付けたり外したりして、電池残量を気にしながら使う方法。もうひとつはバッテリを装着せず、電源コードを繋げたまま使う方法である。有体に言ってどちらもメンドウ極まりない。

なので特に気にせずに使っていたところ、ある日ふと見てみればバッテリがパンパンに膨れあがっている。久しぶりにノートパソコン風に蓋を開いてみれば、トラックパッドのボタンなど押せたものではない。すぐ裏にバッテリがあるから、圧迫されて押し込めなくなっているのである。

過去、同じような状態になったMacBookをアップルストアのジーニアスバーに持ち込んだところ、無償でバッテリを交換してくれた事例があるようだ。このウワサは結構有名なようで、Googleでちょっと検索すると真偽を確かめようと身を張って検証したブログ記事がわんさか出てくる。だが、残念ながら、そういった試みの多くは失敗に終わっているようだ。ざっと眺めただけだが、正規品を購入するよりは安いが有償交換になるケースがほとんどであった。

アップルの正規品はすこぶる高い。なんと16,000円もする。同じように動作する互換品がその半額で売っているにも関わらずである。しかもその互換品というのが信頼の中国製であるので、選択肢は限られているに等しい。

だが、実は第三の選択肢が存在する。それは純正バッテリのバルク品を購入することである。これなら正規品の半額、信頼の中国製互換品とそれほど変わらぬ価格で入手できる。おそらく前述のジーニアスバーで交換してもらえる「正規品よりは安いが有償の」バッテリと同じものなのだろうが、これはもちろんアップルストアでは販売されていない。しかしバッテリ専門店なら取り扱っているところがあるので、そういうところを探せばよい。例えば白林檎が買ったところは楽天にも出店しているところだから、かなり簡単に見付けられるはずである。

それにしてもバッテリがダメになったのがぼくのMacBookだったから良いが、相方のMacBook Proが同様の状態になったらちょっと大変だ。ある時期から、アップルのノートはバッテリを自分で交換できない設計になってしまったからであり、相方のMacBook Proはその世代だからである。こうなるとそれこそジーニアスバーで有償交換してもらうか、新製品に乗り換えるかということになる。これでは数年ごとにマシンを買い換えていくという風潮にますます歯止めがかからなくなりそうで、機械好きな身としては非常に残念でならない。まあ相方は何の躊躇もなく買い換えるだろうけど。

ともあれ、思ったより安くバッテリを交換できて良かった良かった。消耗品が高いのはプリンタのインクだけで沢山である。

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2011年06月07日

シンドローム

WWDCが開催中である。冒頭のキーノートで、大方の予想通り新しいOSやサービスが発表された。最近のアップルはすっかりiPhone屋に成り果てていたので、Macに関するニュースが出てくるのは随分久しぶりな気がする。

発表を見ていて、アップルは本当にスティーブ・ジョブズの会社なんだなと思った。ぼくはスティーブ・ジョブズと面識がある訳ではないが、彼と面識のある人々のインタビューでは、必ずと言って良いほど「現実歪曲フィールド」の話題が出る。何やらSFっぽいこの言葉は何かというと、つまりこういうことである。

ある人が、ジョブズに何かを提案する。ジョブズはそれを「くだらない」と一笑に付し、却下するが、何日かすると「素晴らしいアイディアを思い付いたんだ!」と言ってやってきて、この前却下したばかりの提案をさも自分が考え出したかのように蕩々と語る。すると、それが本当にジョブズの考え出した素晴らしいアイディアだと、いつの間にか周囲に認識されてしまう。これを「現実歪曲フィールド」という。のだそうだ。

この話にはいくらかの誇張もあるだろうが、複数の人が証言しているくらいだから、当たらずとも遠からずといったところなのだろう。スティーブ・ジョブズが復帰してからアップルの業績は奇跡的なまでに回復したが、年を追うごとにジョブズ色も濃くなっているように感じるのはぼくだけだろうか。

ところでMacといえば、これまた久しぶりにマルウェアが話題となった。その名も「MAC Defender」という(参考:japan.internet.com)。既にアップルからも対応アップデートが出ているとはいえ、最近になってまた亜種も出てきたから、引き続き警戒が必要となるだろう。アップデートを当てていたりセキュリティソフトを入れたりしていても、タイミングによっては新種への対応が間に合わず感染してしまうこともある。Safariで「ダウンロード後に安全なファイルを開」かないようにすれば比較的安心度は高まるから、最低限その設定はしておいた方が良い。

今回発表されたいずれのサービスも、すべてのデバイスがネットワークに繋がっていることを前提としている。iOS機器は爆発的に普及し、Macですらインストールベースが増加しているというから、今後はアップル製品を狙った攻撃も徐々に増えてくることが予想される。アップル様におかれては派手な機能の開発ばかりでなく、こうした足下への対応もきっちりやってほしいものである。

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2011年04月21日

MFC-935CDNが見付からないと思ったらBonjourで探しに行っていた

微妙に嵌ったのでメモ。

神戸に引っ越すタイミングで、プリンタ複合機を買った。ブラザー工業のMyMioである。どうせだからいろいろまとめてやろうと思って、MFC-935CDNを選んだ。これでプリンタとFaxはもちろん、スキャナも無線LAN経由で扱えるようになったので、大変便利になった。

それは良いのだが、ときどきMacからMyMioが見付からないことがあった。そういうときは大抵Macを再起動してやれば接続できるようになっていた。ところが、今日は、この忙しいというのに、スキャナがさっぱり見付からない。付属のユーティリティで見ても「本機が見付かりません」的なエラーが出てきて、取り付くシマもない。

この状況でもプリントアウトはできる。ということは、ネットワークの問題ではない。ここでふと、ひょっとしてプリンタはOSから、スキャナや機器設定は付属ユーティリティからコマンドを飛ばしているのではないかと思い付いた。

プリンタの方はシステム環境設定からIPアドレス直打ちで指定してある。ではユーティリティの方はどうだろう?

MyMioの付属ユーティリティは何だか妙なところに保存されている。アプリケーションフォルダではなく、「/Library/Printers/Brother/Utilities」以下に入っているのである。この中のデバイスセレクタとやらを開くと、ユーティリティがどうやってMyMioを探しに行っているかがわかるのだが、果たしてこれがmDNS(Bonjour)経由になっていた。インストールするときにIPアドレスで設定したはずなんだがな、と思いつつ、IPアドレス直接指定に変えてやると、さっきまでの不調が嘘のように回復。めでたし。

という訳でメモもできたので、作業に戻ることにする。相方のMacも、何となくこういう理由で接続が切れたりしてるような気もするな。

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2010年06月28日

アップルの初期ロット

iPhone4の筐体の作りがアレだというので、世間でちょっと話題になっている。iPhoneは名前の通り4世代目に入った訳だが、iPhone4は筐体含めかなり設計が変わっているから、実質的には1世代目の機械である。そう考えてみると、今回の騒動はアップルの初期ロットにありがちな事件であるので、とりたてて驚くようなことでもないといえる。

アップルの社史の節目となっている製品の初期ロットには、後から振り返れば、どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのかというような失敗が紛れ込んでいたりするので、注意しなければならない。例えば初代Macintoshには自由に使えるRAMがほとんど載っておらず、すぐにRAMを増量したモデルが発売された。iMacも似たような失敗をしているし(ボンダイカラーには二つのバージョンがある)、Mac OS Xの最初のバージョンに至ってはそれはそれは大変な出来映えであった。最初期のiPodやiPhoneには目立った不具合がなかったので、みんなその事実を忘れていたのかもしれない。iPadはちょっと手を滑らせるとディスプレイが事故車のフロントグラスみたいになるというので業界を震撼させたが、そういえばこういう話は久々に聞いたような気がしないでもない。

まあ、そういう辺りも含めて機械を愛せる者でもない限り、初期ロットには手を出さない方が良いという法則は健在だということである。これは何もアップル製品に限ったことではない。ライバルのマイクロソフトの製品、こちらはソフトウェアだが、それらにも、バージョンを三つ重ねなければ使い物にならないというお約束がある。

もうひとつ言えるのは、多少の失敗など恐れずに自ら革新的と信じる新製品を世に送り続けるメーカーと、多少の不具合など恐れずにそれらを買い続ける狂信的なユーザーの両方が、コンピュータ業界の発展には必要不可欠だということだ。これまでも、そしてこれからも永遠に。巨大化したメーカーよりもベンチャー企業の方がそうした分野で強いのは、いわば当然のことなのだろう。時価総額でマイクロソフトを上回るほど大きくなったアップルが、いまだフロンティアスピリットを失わず、iPhone4の初期ロットで失敗をやらかしたことは、その意味で大変喜ばしい。

まあ、ぼくは買わないけど。

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2008年09月26日

Firefox 3.0.2

Firefoxのアップデートが出た。2と3の両方が同時にリリースされたが、リリースノートを見てみたらようやく例の「Mac OS X上のFirefox3でFlashへの日本語入力ができない」問題が解決されていたので、3を入れてみた。Cocoaアプリケーションになってメモリの管理も効率的になったということだし、何よりボタンなどの見た目が他と揃うのは良いことだ。

それでもいきなりメインマシンに入れるのは何なので、まずはMacBookのFirefoxをアップデート。その後とりあえずニコ動に行って適当な動画を表示してみると、おお、確かに日本語でコメントが入力できる。良かった良かった。という訳で、メインマシンの方にもようやくFirefox 3をインストールできた。

ただ、基本的に快適なのだが、ちょっと動作がもたつくことがある。特にFlashの表示でガタついたり、フォーム(HTMLでも)への日本語入力時にちょっと考え込むことが多いような気がする。もっとも、これはぼくの環境に固有の問題かもしれないけど。

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2008年08月27日

Firefoxは3になって使いにくくなった

ただしMac版、それも日本語環境限定だが。言うまでもなく、Flashのフォームで日本語入力出来ないのが原因である。

もちろん使いやすくなった部分もある、というか大部分の機能は向上しているし、何より動作が軽くなったのは大きな改善だとは思うが、今どきFlashで日本語入力が出来ないというのは大きなマイナスポイントだ。しかも、ダウンロード開始から大分経つというのに、一向に修正される気配がない。おかげでメインで使っているPower Mac G5では未だにFirefox2がメインブラウザだし、ワクワクしながら3を入れたMacBookでは、結局Safariをメインに使うようになってしまった。

オープンソースのソフトに対してブログで文句を言っているだけという、この態度が良くないことなのは知っている。とはいっても、ぼくのような一般ユーザーには、騒ぐくらいしか出来ることがないのだ。第一、この件に関しては開発元も確か認識していたはずである。日本語環境で、しかもMacだから、という理由で放置されているのだろうか。だとしたら悲しい話だ。

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2007年10月30日

これからはスマートフォン的移動端末の時代だ──多分

iPod Touchが欲しくてたまらない。何あれ。とりあえず外出時にiBookを携帯しなくて良くなるというのが、たまらなく魅力的だ。

もっとも、どういう訳だかメールクライアントが載っていないので、しばらく購入は見送りである。どう考えても次の商品辺りから搭載されるだろうし。SafariからWebメールを使うという選択肢もあるんだろうが、それもなぁ。

ところで10.5はまだ触っていない。こちらについてはスルーがほぼ決定しているのだが。まあ、新しくMacを買ったら入ってるんだろうし、あちこちで報道されているオモシロ機能はそのときに堪能すれば充分のような気がする。仮にもMac系ブログがそれでいいのかという気もしないではないけれど、またFCPとかを買い直す羽目になるような事態は避けたいので、仕事用マシンしかない今の状況では、ちょっと食指が動かない。

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2007年04月11日

G5、どうやら復活

タイトルだけを見ると何だかわからないが、事の顛末はこうである。

昨晩、どうもハードディスクへのアクセスにひっかかりを感じたので、インストールDVDで起動してディスクユーディリティの修復をかけてみることにした。そもそもこれが間違いの元で、本当ならデータをバックアップしてから始めるべきだったのだが、まさかApple純正のディスクユーティリティに後述する恐るべき罠が隠されているなどとは思いもしなかったもので、鼻歌交じりに修復を開始した。

表示を見ていると、案の定カタログファイルに誤りがあるなどと出ている。HDDから頑張っている音が聞こえてくる。どうせ暇だからと、DSでスーパーマリオをプレイしていると、しばらくして修復完了──かと思いきや、そこには「修復出来ませんでした」の文字が。基になるプロセスでエラーが発生して云々とある。何だそれは。再度修復。やはり駄目のようである。

仕方がないのでディスクユーティリティを終了し、ターミナルを起動。fsckしてみると、こちらでもエラーが発生(当たり前といえば当たり前なのだが)。エラーメッセージには「BAD SUPER BLOCK: MAGIC NUMBER WRONG」とある。

あちこちを見て回ってみたところ、これがなかなか大変な事態のようで、要するにパーティション情報がどうかなってしまっているらしい。実際、HDDを認識出来てはいるのにどうしてもマウント出来ない。すぐ目の前にデータが転がっているのに、どれだけ手を伸ばしても届かない、そんな文字通り悪夢のような状況である。

とはいってもデータ自体はディスクに残っているはずだし、同じような状況から復帰できた人もちらほらいるようなので(FreeBSDの場合とかMac OS Xの場合とか)、諦めるには早い。というか、重要なデータがてんこ盛りであるので、諦めるという選択肢を採るわけにはいかない。

Macにはディスクウォーリアという伝統的な修復ユーティリティがあり、当然うちにもある。それも二種類もある。すなわち、旧バージョンと旧々バージョンである。この記事の時点での最新バージョンは4だが、このとき手元にあったのは3までだったので、とりあえずそのCDで起動を試みる。が、失敗。まあシステムのバージョンが微妙に古いとMacは容赦なく起動しないので、特に驚くには値しない。

起動できないなら、別のHDDから起動して、その上で動かしてやれば良い。ということで、相方が使っているFireWire接続のリムーバブルディスクをG5に繋ぎ、今は使っていないHDDを挿してシステムをインストール。そこから起動し、もう一度ディスクウォーリアを試してみる。と、「バージョンが古いので無理」とすげなく断られてしまった。収録されているシステムのバージョンを起動ディスクから確認すると、10.3のようだ。そりゃ無理だよな。

仕方がないので、ターミナルからnewfs -Nしてalternate super blockを調べ、出てきた数値を使ってfsck -bするというのを試してみる。しかし、数が多すぎるため最初の三つくらいで飽きる。これはもうディスクウォーリアの最新版を買ってくるしかない。そう思って、昨晩は寝た。

で、今日になってディスクウォーリアの最新版を買ってきて、試してみたところ、実にすんなりと問題が解決した。善哉々々。ずらーっと並んだエラーのリストを眺めながら、たまにはメンテナンスしてやらないといかんなぁというのを実感した次第である。

あと、せっかくだから250GBのHDDを増設して、データ置き場にすることにした。シリアルATAのHDDを扱うのは初めてなので軽く緊張したが、何も難しいことは無く、やってみたらUltra ATAよりも簡単なくらいだった。

という訳で、どうやら無事に復活したようである。めでたしめでたし。

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2007年01月10日

iPhone

アップルからiPhoneなるエラい物が発表されたが、とりあえず日本人には関係なさそうな雰囲気である。携帯電話なぞは別に持つから、とりあえずお手軽ケータイMacとして発売してくれないものだろうか。年に数回、車で遠出をする身には、とても良さそうな機械である。最近の高速道路のサービスエリアにはFreeSpotを置いているところが多く、今もiBookを持っていってメールやらウェブやらはチェック出来ているのだが、iPhoneがあればもっと素敵に移動出来そうではないか。

もうひとつのリンゴTVとかいう物は日本でも発売されるようだ。面白そうではあるが、こちらは日本のiTunes Storeで映画やテレビ番組が充分に販売されていない以上、使い道は皆無に等しい。まあポッドキャストで配信されてくる映像なんかもある訳で、それをテレビに映すという用途もあるだろうが、ポッドキャスト程度であればMacで見てしまって、わざわざテレビの前に移動する方がむしろ面倒である。こちらはiTunes Storeの拡充待ちといったところだろうか。

それから、社名から「Computer」が取れて、「Apple」だけになるとのことである。何だか寂しい気もする。それと、ビートルズの例の会社との訴訟は大丈夫なんだろうか、という余計な心配もしてしまう。まあ社名変更は割とどうでもいいのだが、このまま社名同様にMacの製造販売も止めます、なんてことはないだろうな。基調講演もiPod中心だったし。

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2006年05月17日

MacBookが出ましたな

コンシューマ向けノートであるiBookにもIntelのプロセッサが載り、名前もMacBookとなって新しく発売された。名前を除けばなかなか魅力的な仕様だ。

詳しくはアップルの商品ページをご覧いただくとして、ぼくが驚いたのは、デュアルディスプレイでの利用が可能になっていることと、オプティカルなオーディオI/Oが付いたことだ。使い方にもよるだろうが、それほどプロセッサのパワーを要求しない作業なら、プロ用途にも耐えうる仕様であると思う。リモコンだのiSightだのは、まあオマケみたいなものだ。

液晶がぼくの嫌いなペカペカ液晶らしいというのが玉にキズだが、すぐにサプライメーカーから反射低減シートが出るだろう。後は、プロセッサの実力というか、ソフトの対応状況が気になるところである。様々なサードパーティがユニバーサルバイナリへの移行を表明し、実際に製品も出始めてはいるものの、まだ全てのアプリケーションがそうだというわけではない。使用アプリケーションが決まっている場合はちゃんと調べないと悲しい目に遭いそうだ。

それにしても、MacBookという名前はいつ聞いてもイマイチな響きであるな。ポテトくらい一緒に付いてきそうだ。PC市場にケンカを売るための名前であろうことはわかるのだが、もうちょっとワクワクする名前にしてほしかった。どうせ他のノートより重いんだし、いっそMacintosh Portableくらい付けてもいいんじゃなかろうか。

ここまで書いて、12インチのPowerBookでもいいような気がしてきた。まあ、どっちにしても、ノートはしばらく要らないんだけど。

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2006年05月14日

.DS_Storeがウザい人のために

AppleでTILが掲載されているので、参考にするとシアワセになれる。かも。

なんかMac OS Xって、バージョンを重ねるごとにお節介がますます過剰になっている気がする。

もっとも、Mac OSはそもそもお節介者として登場したOSである。「フォルダの絵にファイルの絵を重ねるだけでファイルを移動」できたり、「ファイルの絵を二回クリックするだけで適当なアプリケーションを選んで起動し、かつファイルを編集可能な状態で開いて」くれたりするお節介で革新的なUIは、登場当時に一般的だったCLIからは想像も付かないような手軽さをコンピュータの利用者にもたらした。考えてみれば随分とお節介な話なのだが、控えめというかエージェントとしての節度をわきまえていて、その意味ではお節介者というより世話焼き女房といった方が正しいかもしれない。その存在感は希薄ですらあった。これは凄いことだ。

その後、Mac OSはバージョンアップに伴って様々な機能が付加されていったけれども、その節度はとても慎重に守られていたように思う。Mac OSがWindowsと比べて使いやすかったのは、その存在を意識する必要がほとんどなかったからだ。機能的にはせいぜいトントンか、Windowsの方が優れていたくらいだろう。

Mac OS XもWindowsよりはマシだが、Mac OS 9までと比べると明らかにでしゃばるようになった。構造が違うから仕方がないとは思うが、もうちょっと何とかならんものかとも思う。.DS_Storeを無差別にばらまくのも鬱陶しいが、最近特にイラっとくるのが「拡張子を保持しますか?」というダイアログである。頼むから黙ってファイル名を変えてくれ、Tigerよ。

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