2013年08月31日

トウカイテイオーの死

トウカイテイオーが死んでしまった。25歳だから年齢的には大往生と言って良いのだが、何だか呆然としてしまって言葉が出ない。ときには何かを受け取ったり、ときには励まされたり、本当に好きな馬だった。一度会いに行ってみたかった。今更言っても仕方のないことだが。

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2013年03月27日

夫婦岩

二つ並んで鎮座しているものを夫婦ナントカと名付けるのは日本人の習性のようである。外国にそう呼び習わされているものがあるのかどうか、不勉強なようだがぼくは知らない。

先月、結婚記念日に合わせて妻と淡路島へ行った。そこで訪れた伊弉諾神宮には夫婦の大楠というのがあった。これは連理木で、確かに夫婦というにふさわしい。昨日は夫婦岩というのを見た。夫婦岩と呼ばれるものは全国にあるようだが、昨日見たのは伊勢二見浦のものである。二見浦の夫婦岩は大小二つの岩が海面に顔を突き出しているもので、もちろんどちらかが夫でどちらかが妻ということなのだろうが、一体どちらがどちらなのか、夫婦で眺めながらそれぞれ考えてみるのも面白かろう。

津は伊勢で持つなどというが、確かに伊勢神宮、特に内宮の人出は平日とは思えない程である。休日はどうなってしまうことだろうと思う。このようなことを書くとお前も平日に参拝したくせになどと人は言うだろうが、昨日伊勢辺りにいたのはそれなりに理由がある。一昨日は義弟の結婚披露パーティで名古屋にいたからである。一昨日名古屋にいたからといって翌日伊勢に行く必然もないのだが、伊勢には以前から行きたいと思っていたし、せっかく近くまで行くのだからというので寄ってきたという次第である。もっとも、名古屋から伊勢は近いといっても遠い。近いと思っているのがぼくと妻だけだからかもしれない。

義弟のパーティは、個人のプライバシーに関わることだからあまり詳しくは書けない。詳しくは書けないが、何しろピアニストとシンガーの新郎新婦のことだし、ジャズ喫茶を借り切って会場としていたから、二人の小さなコンサートを間近で楽しむことができた。招かれているのも親族と彼らのごく親しい友人たちだけで、気兼ねしないという訳にはいかなかったけれど、世の結婚披露宴のようなタイクツな時間がひとときも無かったのはとても良かった。義弟たちはこれから二人であちこちで演奏したいと言っていたから、近いうちに紹介することもできよう。

日本人が何かに付け夫婦と呼びたがるのは、ひょっとすると我々の神話に根源があるのかもしれない。夫婦神や人類最初の夫婦の神話伝承はそれこそ世界中にあるが、イザナギとイザナミのように創世をした例はあまり無い。夫婦和合を妙に重視する精神性はやはりこの辺に起源があるように思うが、どうだろうか。

イザナギとイザナミは偉大な夫婦というべきだが、割と早くに死別してしまい、そこは神様だけあって一度は再会したものの、結局は喧嘩別れしてしまった。義弟夫婦も二柱のようにこれから色々と育んでいくことと思うが、是非とも後半は見習わず、二人末永く仲良く過ごせることを願っている。

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2012年12月03日

排水溝顛末

二、三週間ほど前から、風呂の洗い場の排水が流れにくくなった。ぼくが入るときだけかと思っていたらそうでもないようなので、これは何か対策を講じなければと思った。

ホームセンターなどに行くと、排水管の詰まりを取る薬剤というのがいくつか並んでいる。どんな汚れも溶かして流すなどと恐ろしげなことが書いてある。だがうちの排水管が詰まって流れにくくなっているのなら、この大袈裟な文句もなかなか頼もしく思える。それで、買ってきて早速トロトロと入れてみた。二時間ほど待って流してみると、とりあえずその分は何事もなく排水されていった。これは直ったかと思って風呂に入ると、やはり頭を洗っているうちに流れが悪くなる。直っていないのである。

次に手を付けたのが、排水口の蓋にくっついている半球状の物体である。これを碗トラップというのはこのとき初めて知った。排水管とうまく組み合わさることで水による一種の封印となり、下水から上がってくるニオイなどを閉じ込めるための構造なのだそうだ。とにかく、これがどうにかなっている、つまりうまく組み合わさっていないのではないかと疑った訳である。そこで、ゆるんでいるのかとネジを締め直してみたり、逆に締めすぎたかと少しゆるめてみたり、あるいは排水管の周囲の、本来これが収まるべき場所が詰まっているのではないかと掃除をしたりしてみた。しかし、どうしても良くならない。

仕方がないのでだましだまし使っているうちに、ふと庭にあるマンホールから水が噴き出しているのに気付いた。トイレ以外の排水が集まってくる溝の蓋で、すなわちそういった排水が溢れていることになる。ちょうど洗濯機を回していたときのことだったので、それが終わってから、今度は浴槽の水を抜いてみた。すると出るわ出るわ、都合四カ所ほどのマンホールから次々と水が溢れてくる。慌てて風呂に栓をして、これはどうしようもないかと思って水道工事店に電話をした。

職人さんの来るのを待つ間、万事まず自分でやってみなければ気の済まない妻が、溢れているマンホールを片っ端から開けてみていた。排水溝のマンホールは台所の裏あたりから、風呂の裏を回って駐車場を抜けるように並んでいる。それらのすべてから水が溢れている訳ではなく、あるマンホールを境に、溢れているものと溢れていないものとに分かれていた。で、その境となっているマンホールを開けたとき、妻はなかなかに大変なものを目にすることになったのだった。

もったいぶっても仕方がないからさっさと書いてしまうが、そこには、風呂から流れた石鹸や皮脂や髪の毛といったものが絡まって固まった末に謎のヘドロとなり、大量に堆積していたのである。すなわちこれによって排水溝の流れが悪くなり、風呂の排水の流れが悪くなり、マンホールから水が溢れていたのだ。それを見るなり妻はバケツを持ってきて掃除を始めた。だが、いくら取ってもなかなか底が見えない。かなり長く頑張って八割方取ったところに、ようやく職人さんがやってきて、一目見るなり「これが原因ですね」と言った。ドンピシャだった訳である。

それから、掃除を代わりながら、職人さんがいろいろと排水溝の仕組みを説明してくれた。この詰まっているポイントはわざわざこういったゴミをトラップするように作られていること、その掃除の仕方などである。なぜここでゴミを捕らえるようになっているかというと、この先でトイレの排水と合流するからなのだそうだ。合流してから詰まったらどんな惨事になるかは容易に想像が付くので、これには納得せざるを得なかった。掃除と説明を終えて、残っていた浴槽の水を流してみると、まるで嘘のようにスムーズに流れていった。これでようやく安心して風呂に入れる。作業料金は税込み4,200円。もう少し高いかと思ったが、案外安く済んだ。妻がある程度掘り返していたのもあるかもしれないが、何より暮らしが安心な業者に頼まなかったのが良かったのかもしれない。こういうのはやはり地元の業者に電話するのが一番である。

それにしても、排水溝が掃除しなければならないような代物だとはついぞ思い付きもしなかった。流せば勝手に流れていくのが排水だと思っていた。これが常識なのかそうではないのかぼくには判断しかねるが、二年やそこらであんなに皮脂がたまるものだろうかという気はしている。

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2012年04月11日

名人戦についてのお詫びと訂正

今ニコニコ動画を見ていたら、一昨年に三浦八段が羽生名人に挑戦したことを思い出した。ぼくもネットの中継で見ていて、確か全局とも横歩取りという意地のぶつかり合いだったと記憶している。この十年間、名人位にあるのが羽生さんか森内さんかというだけで、よく考えたら、よく考えなくてもそうなのだが、その事実は挑戦者もまた羽生さんか森内さんでしかないということと等価ではなかった。ここにお詫びして訂正いたします。

それはともかく第一局から流石の熱戦である。引き続き観戦していきたいと思う。

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2012年04月07日

第70期将棋名人戦がもうすぐ始まる

名人戦がこの10日から始まる。今期は森内名人に羽生二冠が挑戦という構図。去年のまったく逆である。ニコニコ動画のプロモーションによると、この10年間、名人位はこの二人だけで争っているのだそうだ。将棋の名人戦というのは、名人は迎え撃つ側なので特に何をせずとも名人戦を迎えることになるが、挑戦する側は順位戦というリーグ戦で優勝する必要がある。将棋の順位戦にはA〜C2まで実績ごとに五つのリーグがあるのだが、プロ棋士はまずフリークラスからキャリアが始まり、やがてC2、C1……というように昇級していく。そして上り詰めたA級順位戦で優勝して初めて名人に挑戦することができるのだ。要するにA級というところは猛者の集う場所であって、そんな場所で森内名人と羽生二冠は交替々々に優勝しつづけているということでもある。

ところで、最近の小学生には将棋が結構な人気を誇っているそうである。カードゲームといい将棋といい、これだけデジタルコンテンツが身近になると、逆に手で触れられるものに新鮮さを感じるということなのかもしれない。そんなことはともかく、そんな世相を反映してなのか、近頃ニコニコ動画は将棋連盟とやたらと仲が良い。今年のはじめに米長会長がボンクラーズと対戦して苦杯をなめたのは記憶に新しいが、あの棋戦の主催者のひとつであり、また生中継をしたのもニコニコ動画だった。この他にもタイトル戦や将棋祭りの中継なども盛んに行っている。

で、今年はなんと名人戦を全局中継するのだそうだ。去年の名人戦では宝塚でも対局があり、これ幸いとばかりに見物に行ったのだが、今年は最も近くて京都である。これはちと無理だなと思っていたところだったので、白林檎としても大変に喜んでいるところである。

考えてみれば将棋とネット生中継というのはなかなか相性が良い。ときには十時間にも及ぶ映像をだらだらと流しつづけることのできるテレビ局など、この世に存在しないであろう。放映に多大なコストがかかる割に、視聴する層が限られてしまうからだ。名人戦などの二日制タイトルともなればなおさらで、二日間合計二十時間近くもチャンネルを占有することなど、普通の放送局には不可能である。しかし、チャンネルという概念のないネット中継ならそれが可能になるのだ。もともと棋戦はFlashを使った棋譜中継などもあって、ネットとの相性は悪くなかった。ニコ動によってそれがさらに向上したと言える。

これは何も将棋に限ったことではなく、長時間に及ぶ試合の生中継、例えばプロ野球なんかにも格好の形態である。実際、すでに楽天の試合はニコ動で中継されている。ニコ動での中継ならば放送時間の延長によって予約録画に失敗するという悲しい現象もなくなるし、また途中で打ち切られることもほぼ無い。サッカーだって同じで、プレミアリーグか何かの中継も確か開始されていたはずだ。そういったメジャーなスポーツだけでなく、あまり世間で知られていない競技でも、ニコ動などのネット中継なら、従来よりずっと簡単にお茶の間に届けられるようになるかもしれない。これはなかなか楽しい事態だ。

最後の方はちょっと将棋から話が外れてしまったが、とにかく楽しい時代になったものだと思う。

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2012年01月02日

謹賀新年2012

本年もどうぞよろしくお願い申上候。

例によってほとんど年賀状を出していない白林檎であるが、昨年末は本格的に慌ただしく、客先に出す分ですら大晦日に投函するという有様であった。そういった訳で親戚筋を含め、個人的な挨拶がまだである。今後ぼちぼちと出していければと思っているが、心配されるといけないから一応ここで事情を申し述べておく。

2011年は激動の1年だった。震災以降、日本のあちこちで様々なことが変わった。のみならず、世界では経済状況がますます不穏になり、また国内外で大きな訃報も相次いだ。年末年始はひとつの区切りではあるが、それでも今日は昨日の延長線上にある。まだまだ先の見えない時間が続くのだろう。それでも少なくとも心の持ちようくらいは新たでありたいものだ。

何にしても今年も頑張っていこう。

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2011年12月10日

携帯電話の機種変更をした

来年から携帯電話用の電波の帯域割当が変更になり、一部のキャリア、つまりauの古い機種は利用できなくなる。これはどういうことかというと、白林檎の使っている機種が割当変更以後は不通になるということである。というので、今年の春頃から、auから機種変更の優待割引を案内するダイレクトメールが度々届いていた。この機種なら無料で交換しますよ、こっちの機種もこんなにお安くなりますよ、そもそもあなたの機種は来年から使えなくなるんですよ、さあ変えろ今すぐ変えろと、まさに矢の催促である。しかしぼくは生来メンドウなことが嫌いであるのと、長く使っていた日立の機種に愛着があったので、なかなかauショップに足を運ばなかった。

そうこうする内に夏モデルが発表されて、ちょっと気になる機種が出た。京セラのK009である。スタイリッシュな上に使いやすそうで、これが優待の対象になったら機種変更をしても良いと思えた。で、さらに時間が流れて11月の末頃、またauからダイレクトメールが届いた。そしてこれに件のK009が優待割引、それも無償交換対象と書かれていたので、ようやく変更してきたという訳である。

ところでぼくの使っているのはauであるから、当然iPhoneやAndroid搭載スマートフォンにも変更が可能である。それでもK009を、というよりいわゆるガラケーを中心に検討したのは、スマホが電話としては使い物にならないからだ。耳に付けて通話をしたら液晶画面に脂がべったり付きそうだし、何より電池の保ちが悪いのはいただけないと思ったからである。

こういうことを書くと「スマホを電話として捉えるのが間違っている」と言い出す人もいるだろうが、これは反論にはならない。スマホが電話としては使いにくいことを暗に認めているからだ。もっと言えばぼくと同意見な訳である。というより、これは機械マニアにとっては共通認識とでもいうべきもので、ガラケーが携帯電話に様々な機能を追加する方向で進化してきた機械であるのに対し、スマートフォンはごく小さなパソコンに携帯電話をくっつけたようなもので、はっきり言えば通話機能はオマケみたいなものなのである。スマホの携帯電話機能を通話に使わないなら何に使うのかといえば、Webやメールなどのデータ通信回線として使うのである。要するに、スマホは従来のケータイから機種変更する物というより、普段からノートパソコンを持ち歩いていた層が荷物を軽くするために買い足す物なのだ。

猫も杓子もスマートフォンというご時世に、少なくとも周辺からは機械マニアだと思われている白林檎が従来型のケータイにわざわざ機種変更したのは意外に思われそうだが、それは大体上記のような理由からである。確かにぼくはどちらかといえばスマートフォンが欲しい側の人間だが、どちらかひとつを選べと言われたら、今のところ必要なのは携帯電話の方だったのだ。また、一定の範囲内では常識と言えそうなことをこれまたわざわざ書いたのは、万が一キャリアのエライ人か何かの目にとまって、スマートフォン一辺倒な現状が改善されればと思ってのことである。

スマートフォンは素晴らしい機械だから持つ人には満足してもらいたいし、ユーザを満足させるだけのポテンシャルをスマホは確かに秘めている。実際、満足している人たちもたくさんいることをぼくは知っている。一方で、電池や料金のことなどで、不満の声が絶えないのも事実だ。おそらく携帯電話と勘違いして入手したそういう人々の怨嗟の声で、スマートフォンのブームに水が差されてしまってはもったいない。いっそのこと「次世代型携帯電話」という類の呼び方や煽り方は止めた方がいいのではないかと思う今日この頃である。

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2011年11月20日

HTML5

Flashの代替だのスマートフォン向けコンテンツ制作だの、そういう面ばかりが強調されるHTML5。そういう話ばかり耳にしていると何だかHTML3の時代に逆戻りするような気がして食わず嫌い的に敬遠していた白林檎だが、実際に触ってみたらまったくそんなことがなく、むしろHTML4よりも構造化文書を作りやすいので驚いてしまった。変な勘違いをして本当に申し訳ない。

アプリケーションがどうこうというのは無論JavaScriptやサーバサイドスクリプトと組み合わせた場合の話で、当たり前だがその点はHTML4の頃から何も変わっていない。それなのにこれだけ取り沙汰されているのは、HTML5から仕様に加わったcanvasが非常に柔軟だからだ。テストページを組んだついでにJavaScriptでcanvasと戯れてみたが、図形描画からピクセル画像の操作までかなりのことができるので、確かにちょっとしたアニメーションくらいならすぐにでもFlashの代わりが務まりそうである。

ただ、ブラウザだけで動くものというのは、いつの時代も互換性の問題が付き物だ。プラグイン動作でそれに考慮しなくて良いFlashはそれだけでやはり作り手にはありがたいし、それがOSベンダーの都合で徐々に潰されていくのはちょっと釈然としないものがある。HTML5そのものは素晴らしいものではあるが、選択肢がそれだけになってしまうのでは、Webに関わる者のハシクレとして、どうしても手放しでは喜べない。

まあ、そういったモヤモヤ感が残るにしても、HTML5は面白い。上記とは矛盾するようだが、ブラウザだけで動くものをエディタでちまちま作っていくこの感じは、それこそ90年代の、ブラウザもFlashも未成熟であった頃が思い出されて懐かしい。冒頭に書いたようにsectionやnavなど合理的な要素も増えているし、これが標準化される日が待ち遠しいというのも正直な気持ちである。我ながら複雑だ。

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2011年10月26日

北杜夫氏、ご逝去

スティーブ・ジョブズが亡くなって、Cの生みの親のひとりであるデニス・リッチーが亡くなって、LISPを考案したジョン・マッカーシーが亡くなったと思ったら、今度は作家の北杜夫氏が亡くなったとの報。ここのところの訃報の多さは一体どうしたことだろう。マッカーシーまでは「時代」というような言葉で済ませられたが、北氏ご逝去の知らせによる喪失感は個人的にどうしようもなく大きい。中学校に入ってすぐ、氏の『どくとるマンボウ航海記』を手に取っていなかったら、ぼくの人生は随分と違ったものになっていただろうから。

読者のひとりとして、謹んでお悔やみを申し上げます。今夜あたり何か読み返そう。

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2011年10月06日

Steve Jobs, 1955-2011

数日前、七冠馬シンボリルドルフが死んだ。トウカイテイオーの父馬であるし何といっても偉大な馬であったから、ブログに何か書きたいなと思っているうちに、今度はもっと大きなニュースが飛び込んできた。アップルのスティーブ・ジョブズが亡くなったというのである。今日のネット上は1日その話題で持ちきりだった。

既に9月には死亡していたとか、真偽のよくわからない様々な言説が飛び交ったりもしたが、その中でひとつだけ、おそらく誰かが冗談半分に言い出した「iPhone4SはiPhone for Steveである」というのは世間に記憶されても良いのではないかと思う。ぼくは今のところスマートフォンの類を持つ予定はないが(スマホを持ち歩くくらいならMacBookを持ち歩くから)、iPhone4Sは買っても良いかなとちょっと考えてしまったくらいだ。

アップルのトップページに彼の遺影が飾られている他、マイクロソフトのビル・ゲイツをはじめ、あちこちで哀悼の意が表されているが、個人的には、オバマ大統領のコメントの中にある次の一文がすべてであるように思う。曰く、「世界の多くが、ジョブズ氏が発明した機器で彼の死について知ったという事実こそが、彼の成功への何より素晴らしいはなむけだろう」(Digital Todayより引用)

ぼく自身は、彼がアップルを引退するときに書きたいことはあらかた書いてしまったから、改めてここで述べるようなこともほとんどないのだが、ただそのときの結びとした「もう一波乱」が永遠に実現しなくなったことは本当に残念でならない。氏のご逝去を心より悼みたいと思う。合掌。

posted by 白林檎 at 19:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Mac | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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