2011年09月06日

台風12号

紀伊半島を襲った豪雨はあちこちに大変な被害をもたらし、日を追うごとにその惨状が明らかになってきている。被災された皆様には心からお見舞いを申し上げたい。

とはいうものの実はお見舞いなどと悠長なことを書いている場合ではないのである。カーブミラーや道路標識の首の部分まで水面が来ている写真で一躍全国にその名を知られることになった三重県紀宝町には、妻の両親と祖母が住んでいるからである。

あの辺りは台風がよく上陸する土地で、大雨が降ると近くの川からはあっけなく水が溢れ出し、標高の低い地域は比較的頻繁に冠水する。冠水どころか床上まで浸水することもよくあるようで、台風が過ぎた後に家財を屋外に持ち出して乾かしている光景を白林檎も見たことがある。だが妻の親戚の家があるところまで水が来るのはかなり稀で、さらに水に浸かったとなるとここ90年間では一度あったかなかったかくらいのことだったようだ。

とりあえず人間は皆無事ということで安心しているが、何しろ泥水が屋内を蹂躙した訳だから大変なことになっているだろう。手助けに行こうにも道路も電車も寸断されているのでどうにもならない。最低限のインフラが一日も早く復旧してくれればと思う。

posted by 白林檎 at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 白林檎的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月26日

スティーブ・ジョブズの引退

このご時世、いい人は成功しにくいとかいう話がある。他人の意思を自分の意思と同等あるいはそれ以上に尊重するというのが「いい人」の要件だとすれば、まあ一面では真実なのかもしれない。見方を変えれば、「いい人」はリーダーシップにはやや劣るということになるからだ。といって、主張が強ければ良きリーダーになれるかといえばそうでもなく、あまり周囲から反感を買うようでは指導者失格である。この辺はなかなか難しいところだが、その主張が大勢の目に魅力的に映るなら、多少強引でも人は付いてくるだろう。

少し前にも触れたが、スティーブ・ジョブズはかような「強いリーダー」の典型であったようだ。かつて社会現象にもなったiMacにせよ近年のiOSデバイスにせよ、さらにはMacintoshシリーズそのものにせよ、彼の強烈な個性から誕生したものである。そもそも、ジョブズがスティーブ・ウォズニアックを半ば強引に誘ってApple Iを世に出さなければ、アップルという会社そのものが存在しなかった。だから今回のCEO辞任は、ジョブズがアップルのCEOでなくなったというより、アップルがジョブズの会社でなくなったという方が正解に近いように思う。

もっとも、アップルは過去に一度、ジョブズの手を離れていた時期があった。彼のようなタイプはスタートアップ期や混乱期には非常に強力に機能するが、それが一段落するとその独善性を煙たがられることがある。まさにそういう理由で、ジョブズは自ら立ち上げた会社を追われるという憂き目にあったのである。その後彼がどうしたかというと、新たな会社を立ち上げ、そこでの成果を手に混乱期のアップルに舞い戻ってiMacやMac OS Xを世に送り出すことになるのだが、その辺はいくらでも書籍が出ているからここでは割愛する。

冒頭の話に戻る訳ではないが、組織の安定期のトップには、どちらかといえば「いい人」タイプ、より正確に言うなら調整型が望ましいようである。ジョブズ型が二代続くと、二代目の方は何とか自分の個性を出そうとしてあらぬ方向に奮闘し、甚だしい場合には前任者の業績を否定するような事業を無理に創造した挙句、あえなくぶっつぶれることがあるからだ。その意味で90年代のアップルは不幸だったし、今回のCEO後任にティム・クックが選ばれたのは今後しばらくアップルの安泰を保証するものであるように思う。革新の後には充実が必要なのである。

問題はその次の段階だ。今現在、いくらアップルが魅力的な商品を多数抱えているからといって、その優位がいつまでも続くことは決してない。だから安定期の終わり頃にまたジョブズのような革新的なリーダーが出てこなければ、アップルはそう遠くない未来において過去のメーカーになってしまうだろう。90年代末にはジョブズがまだ壮年だったから良いが、次はもうおそらく戻って来ることはできないのだ(まだアップルを去った訳でもないけれども)。

まあそうなったらなったで、今度こそアップルがどこかに買収されるだけではあるのだが、あのリンゴのロゴは好きだから、アップルには末永く頑張ってほしいものである。あと個人的にはまたジョブズが会社を引っかき回して追い出され、妙なことをおっ始めるのに期待。

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2011年08月23日

MacBookのバッテリ交換

いつの頃からだったか詳しくは覚えていないが、ある世代以降のMacBookにはクラムシェルモードという機能がある。蓋を閉じてスリープにした状態で外部ディスプレイや外部キーボードをつなぐと、あたかもデスクトップマシンの本体のように使えるというものである。クラムシェルモードのおかげで、普段は自室でデスクトップのように使い、気分を変えたい時にはいつもの環境をそのまま──モニタの広さやキータッチは変わるからそのままとはいかないが、そういったハードウェア環境以外はそのまま持ち出すことができ、大変便利なのである。

ここまで書けばおわかりだろうが、もちろん白林檎はこのようにして使っている。しかも出不精なので、我がMacBookの稼働時間の大半は電源コード繋ぎっぱなしのクラムシェルモードである。しかしながら、かような使い方は製造元としてはあまり奨められたものではないらしい。ノートパソコンのバッテリは充電と放電を繰り返すことを前提として設計されており、常に電源コードを接続して使っていると過充電が起きてしまうのだという。要するに、バッテリの劣化がより早まるのだそうだ。

これを避けるには大まかにいって二つの方法がある。ひとつは、電源コードを付けたり外したりして、電池残量を気にしながら使う方法。もうひとつはバッテリを装着せず、電源コードを繋げたまま使う方法である。有体に言ってどちらもメンドウ極まりない。

なので特に気にせずに使っていたところ、ある日ふと見てみればバッテリがパンパンに膨れあがっている。久しぶりにノートパソコン風に蓋を開いてみれば、トラックパッドのボタンなど押せたものではない。すぐ裏にバッテリがあるから、圧迫されて押し込めなくなっているのである。

過去、同じような状態になったMacBookをアップルストアのジーニアスバーに持ち込んだところ、無償でバッテリを交換してくれた事例があるようだ。このウワサは結構有名なようで、Googleでちょっと検索すると真偽を確かめようと身を張って検証したブログ記事がわんさか出てくる。だが、残念ながら、そういった試みの多くは失敗に終わっているようだ。ざっと眺めただけだが、正規品を購入するよりは安いが有償交換になるケースがほとんどであった。

アップルの正規品はすこぶる高い。なんと16,000円もする。同じように動作する互換品がその半額で売っているにも関わらずである。しかもその互換品というのが信頼の中国製であるので、選択肢は限られているに等しい。

だが、実は第三の選択肢が存在する。それは純正バッテリのバルク品を購入することである。これなら正規品の半額、信頼の中国製互換品とそれほど変わらぬ価格で入手できる。おそらく前述のジーニアスバーで交換してもらえる「正規品よりは安いが有償の」バッテリと同じものなのだろうが、これはもちろんアップルストアでは販売されていない。しかしバッテリ専門店なら取り扱っているところがあるので、そういうところを探せばよい。例えば白林檎が買ったところは楽天にも出店しているところだから、かなり簡単に見付けられるはずである。

それにしてもバッテリがダメになったのがぼくのMacBookだったから良いが、相方のMacBook Proが同様の状態になったらちょっと大変だ。ある時期から、アップルのノートはバッテリを自分で交換できない設計になってしまったからであり、相方のMacBook Proはその世代だからである。こうなるとそれこそジーニアスバーで有償交換してもらうか、新製品に乗り換えるかということになる。これでは数年ごとにマシンを買い換えていくという風潮にますます歯止めがかからなくなりそうで、機械好きな身としては非常に残念でならない。まあ相方は何の躊躇もなく買い換えるだろうけど。

ともあれ、思ったより安くバッテリを交換できて良かった良かった。消耗品が高いのはプリンタのインクだけで沢山である。

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2011年07月30日

ジョークの向こう側

中国人の「できました」と韓国人の「できます」と日本人の「できません」は信用するな、という、これは何というのだろう、ネットで定型化された一種の成句というかジョークというか、そういった文句がある。言うまでもなく中国人と韓国人を嘲笑する内容なのだが、これがどうしてなかなか、単に口をゆがめて笑うだけでは済まないだけの奥深さを持っていると思う。

ところで、ある国同士、特に隣国の国民同士がいがみ合っていたり蔑み合っていたりというのは、世界的に見てもそれほど珍しいことではない。日本人は中国人や韓国人を差別的な目で見ているといわれるが、中国や韓国に行けば日本人を蔑視している人だって少なくないので、これはまあおあいこである。こんなことは極東でなくとも日常茶飯事で、例えばイギリスとフランスがことあるごとに張り合うというか馬鹿にしあうというか、そういった関係にあるのは有名な話だ。英語でフランス風の何々というと下品あるいは低俗というニュアンスを含むことが多いし、イギリスでそう呼ばれる同じものがフランスに行くとイギリス風などと命名されていたりする。性に関する語句でこれは顕著なようで、イギリスとフランスの例にとどまらず、イタリアに行けばスペイン風だというし、スペインに行けばキューバ風だということになったりして、ヨーロッパくらい国境線が入り組んでいるとそれだけ関係性も複雑になってきて面白い。

さて、冒頭の言葉に戻ろう。

この言葉の何が面白いといって、日本人なら一読して無意識のうちに優越感を覚えニヤニヤしてしまうというのもひとつではあるが、そんなことより、内容を裏側から見たときに、それぞれのお国柄、あるいは社会構造がうっすらと浮かび上がってくるのが興味深い。

言っていることを信用するなというのがなぜかといえば、対象が気軽かつ頻繁にそれを口にするからである。イソップ寓話でオオカミ少年というのがあるが、裏付けなく繰り返される言葉は信頼度がそれだけ低くなる。つまり、中国人はできていなくてもできたと言うし、韓国人はできそうになくてもできると言うし、日本人はできるだろうと思ってもできないと口にする、そういった現象が、ある程度の範囲に通用する常識となるくらい広く認知されているということである。

これは、裏を返せば、どういう状況であれそう答えざるを得ないことが多いということを示している。すなわち、中国では「できていません」とは言えず、韓国では「できません」と言えず、日本では「できます」と軽々しく言えない、ということである。ここから、それぞれの国の人々が何を恐れるか、あるいはそれぞれの社会が何に対して不寛容であるかが、うっすらと透けて見えてはこないだろうか。

ネットに転がっているスラングあるいは差別的に見える表現の中には、ぎくりとするほど真実を突いているものがたまにある。例の文句は日本人の間のみならず、中国や韓国においてさえジョークとなりうるのではないかと思うが、どうだろう。

posted by 白林檎 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書算盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月16日

エアコンを消すくらいならテレビを消すべき

うちは基本的にほとんどテレビを点けない。なぜならアンテナ線を繋げていないし、ひかりTVの類にも入っていないからだ。それならどうしてテレビなんぞがあるのかというと、ゲームをしたり、DVDやBDに収録された映像コンテンツを鑑賞するためである。つまり、遊ぶゲームや見たい映画ないしアニメがなければ、テレビが稼働することはないのである。

ときどきRPGを買ってきて遊んだりすると、その月の電気代が途端に高くなるので面白い。自宅仕事な上にその仕事というのがパソコンをフルに使うものだから、もともと二人暮らしの割には電気代は高めではあるのだが、それでもテレビが多めに稼働している月は明確に電気代が上がる。条件を揃えて比較した訳ではないが、大体二、三千円は違う。まあこれにはPS3の電気代も入っているから、純粋にテレビだけを考えればもう少し安いのかもしれないが。

今年の4月に野村総研が出したニュースリリースによると、テレビを控えることによる節電効果は、エアコンを止めたり照明をこまめに消したりなどといったものを抑えて、ダントツであったそうだ。まあそれもそのはずで、近頃の大型テレビは、たとえ液晶であろうと結構な電力を食うのである。従って、エアコンを我慢してくだらぬ番組をダラダラと見るよりは、快適な室温に設定した部屋で静かに本でも読む方がいろいろとマシであるということになる。

原発がどうとかこうとかで、この夏は関東のみならず関西も電力供給が厳しくなりそうだ。万が一停電が起きれば、暑い夏がさらに暑くとかいう程度のハナシではなくなる。家庭で最も困るのは冷蔵・冷凍関係だろうが、家庭だけでなく病院や企業への電力供給も止まるから、大袈裟でも何でもなく人命に関わる。さらには、停電から復旧するときの条件によっては異常電圧が発生し、コンセントに繋がっている電気機器が故障する恐れがあるという話もある。

日本中でテレビの稼働時間をせめて半分にするだけで一体どれほどの節電効果になるだろうかと、想像せずにはいられない。とはいえ、先述のような事情をテレビで流せないのは仕方がないところなので、せめて口コミでだけでも、テレビを控える風潮が広まってくれればと思う次第である。

posted by 白林檎 at 16:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 白林檎的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月10日

バラが来た

昨日バラの苗が届き、早速花壇に植え付けた。今回の苗はどれもピンク系の品種で、それぞれ芳純、イントゥリーグ、アナスタシアという。芳純が最も濃いピンク色で、この順に少しずつ淡い色になっていくのだが、アナスタシアというのは数あるバラの品種の中でもちょっと珍しい部類に入る。わかった風なことを書いているが、実はイントゥリーグはどうしても名前を思い出せず、たった今必死で検索してきたところである(相方からツッコミが入ったので追記。最も濃いのはイントゥリーグだが、そもそもすべて色の系統が微妙に違うので、一概に濃淡は論じられない由。ややこしいものである)。

園芸や農業の方面にはコンパニオンプランツという概念があるそうだ。一緒に植えると作物に良い効能があるとされる植物のことで、病害虫を防いだり、香りや実りを良くしたりしてくれるという。一説によると、ガーリックなどはそれこそ万能に近い効能を備えている。

ちょっと調べてみたらラベンダーもバラのコンパニオンプランツとされているようなので、一号花壇に植えていたのをバラのそばに移植した。ラベンダーというと安眠効果という印象が強いが、その香りには防虫効果もあるらしい。また花の色合いもピンクと紫で相性が良いようだ。空いた一号花壇にはまたラベンダーを植え、小道を挟んでちょうど向かい合わせになるように配置するというのが相方の計画である。

表の花壇は今が花盛りで、青や紫や白の花が競うように咲いている。殊にサルビアの青が美しい。その頭上にあるカシの生垣の根元には、これまた青い花を付ける木立性のローズマリーが植わる予定になっている。

posted by 白林檎 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 白林檎的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月07日

シンドローム

WWDCが開催中である。冒頭のキーノートで、大方の予想通り新しいOSやサービスが発表された。最近のアップルはすっかりiPhone屋に成り果てていたので、Macに関するニュースが出てくるのは随分久しぶりな気がする。

発表を見ていて、アップルは本当にスティーブ・ジョブズの会社なんだなと思った。ぼくはスティーブ・ジョブズと面識がある訳ではないが、彼と面識のある人々のインタビューでは、必ずと言って良いほど「現実歪曲フィールド」の話題が出る。何やらSFっぽいこの言葉は何かというと、つまりこういうことである。

ある人が、ジョブズに何かを提案する。ジョブズはそれを「くだらない」と一笑に付し、却下するが、何日かすると「素晴らしいアイディアを思い付いたんだ!」と言ってやってきて、この前却下したばかりの提案をさも自分が考え出したかのように蕩々と語る。すると、それが本当にジョブズの考え出した素晴らしいアイディアだと、いつの間にか周囲に認識されてしまう。これを「現実歪曲フィールド」という。のだそうだ。

この話にはいくらかの誇張もあるだろうが、複数の人が証言しているくらいだから、当たらずとも遠からずといったところなのだろう。スティーブ・ジョブズが復帰してからアップルの業績は奇跡的なまでに回復したが、年を追うごとにジョブズ色も濃くなっているように感じるのはぼくだけだろうか。

ところでMacといえば、これまた久しぶりにマルウェアが話題となった。その名も「MAC Defender」という(参考:japan.internet.com)。既にアップルからも対応アップデートが出ているとはいえ、最近になってまた亜種も出てきたから、引き続き警戒が必要となるだろう。アップデートを当てていたりセキュリティソフトを入れたりしていても、タイミングによっては新種への対応が間に合わず感染してしまうこともある。Safariで「ダウンロード後に安全なファイルを開」かないようにすれば比較的安心度は高まるから、最低限その設定はしておいた方が良い。

今回発表されたいずれのサービスも、すべてのデバイスがネットワークに繋がっていることを前提としている。iOS機器は爆発的に普及し、Macですらインストールベースが増加しているというから、今後はアップル製品を狙った攻撃も徐々に増えてくることが予想される。アップル様におかれては派手な機能の開発ばかりでなく、こうした足下への対応もきっちりやってほしいものである。

posted by 白林檎 at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | Mac | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バラの土

そのまま使える園芸用土というのがあるが、これは安くて手軽な反面、品質はそれほど良いとは言えないものであるらしい。商品にもよるのだろうが、少なくとも我が家の近所で販売されているものは、成分のほとんどが未完塾っぽい腐葉土で、花壇に使用するよりむしろカブトムシを飼うのに向いていそうである。

当初、うちではこのお手軽品を使っていた。ところが、これに植えたナントカいう花の苗がひとつ、コガネムシか何かの幼虫に根を食われて枯れてしまった。この事態に相方は大いに憤慨し、例によって数日間悩み抜いた挙句、出来合の配合土は以後用いてはならぬという大方針を打ち立てた。もっとも、そもそもの問題として、バラには出来合の土の中でも比較的高級なものが必要となる。それなら自分で配合した方が安く、しかも品質の良いものを用意できるからというのも理由であるようだった。

ぼくはどちらかというと園芸には無縁な人間で、何かを植えて育てるなどという事業は小学校卒業以来とんとやったことがない。従って花なんてものはテキトーな土に種や苗を埋めてしまえば、あとは水さえやれば勝手に育つものだと思っているが、なかなかそうもいかないらしい。特にバラはさすが園芸的改良を連綿と重ねられてきただけあり、花を咲かせてやるのに結構な手間がかかるのみならず、植え付ける土の嗜好にもごくうるさい。それでバラ専用の土などというものが、普通の土の3倍程度の価格で売られている訳である。

さて、今回作った土の材料は、赤玉土と完熟腐葉土、パーライト、ゼオライト、馬堆肥にそば殻堆肥、そば殻燻炭、それからニームケーキという妙な粉末。ほとんどはホームセンターかネット通販ですぐに見付かるが、そば殻関係はちょっとマニアックらしく、買うのに少し苦労していた。これらをちょうどいい具合に配合して混ぜ合わせるとバラの培養土が出来上がるのだが、くたびれる代わりに、かかる費用が出来合の専用土の半分以下で済む。

土を入れる前に、花壇の中を少し掘り下げる。何でもバラを植えるには地表から50cmくらいの深さの穴が必要なのだそうで、花壇に土を入れただけではその深さまで達しない。そこであらかじめ少し掘っておかねばならない由だが、まったくもって手間のかかる花である。仕方がないからしばらく掘っていたが、随分と石が出てくる。それはもう困惑するほどゴロゴロ出てくる。また、どこかから何かの根が伸びてきており、これも掘りにくい要因となっている。それでも何とか15cmほど掘り下げ、次は出た土を篩にかけて戻してやるのだが、ここでもまた小石がいくらでも出てくる。実に石の多い土地である。

掘り下げる工程でちょっと苦労したが、その後は早かった。分量を見ながら材料を花壇に放り込み、鍬で混ぜるだけだからだ。ただ、見積もっていたよりも多く土が必要そうだということになり、途中で追加の材料をホームセンターに買いに走ったりなどしていたので、ちょっと時間がかかってしまった。この辺はどうもまだまだ手際が悪い。ともあれ自家製培養土は、とりあえず見た目と触感に関しては、なかなか惚れ惚れする出来映えとなった。性能まで満点かどうかはすぐにはわからないが、その辺りも含めて土いじりの楽しみということになるのだろう。

ところで肝心のバラの苗だが、一昨日くらいに注文を出し、これは届けられるのに少し時間がかかるそうだ。土に混ぜたニームケーキを熟成させるのに一週間くらい寝かせておかなければならないらしいので、まあ調度いいだろうと相方が言っていた。このニームケーキというのがまた曰くのあるシロモノなのだが、それはまた日を改めて。

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2011年06月03日

アシナガバチなんて怖くない

4日ほど前に、二つ目の花壇を作った。近畿地方もいつの間にか入梅していたが、ここ数日は、小雨がちょっと降ったくらいで、割とおだやかな天気が続いている。湿度はそこそこあるものの、そろそろモルタルも乾いた頃だろう。

ここに何かひとつバラを植えようというので、相方が昼といわず夜といわず品種の見本ページとにらめっこしている。大分候補も定まってきたようだが、聞いたところによればバラというのは数百だか数千だかの品種があるそうで、なかなかこれと決まらないようである。府中の実家では父がバラに執心しており、またうちの近所にある獣医の軒先には、いくつもいくつもバラの鉢植えが置いてある。バラというのは何か人の心を魅了する力に長けているらしい。その代わり純血種の猫の如く体調管理には気を遣うようで、この二号花壇に入れる土のことでも相方は頭を悩ませていた。

ところで、この家には前だか前の前だかの住人が残していった木製の柵やら何やらが庭の至る所に残っており、風雨にさらされて朽ちるままになっている。ちょっとずつ取り除いてはいるが、なかなか終わらない。特に花壇を作った辺りには扉状にラティスが置いてあり、ここにアシナガバチが巣材を求めて飛んでくる。

アシナガバチはスズメバチの仲間で、刺されると死ぬこともある。だがスズメバチほど攻撃性は高くなく、近付くと威嚇はしてくるものの刺してくることは滅多にないという(もちろん巣を攻撃したりすればハナシは別である)。その一方で仔虫を育てるためにアオムシやケムシを狩るので、どちらかといえば益虫に分類されている。

従って飛んできても無闇に恐れることはなく、また先走って殺虫剤をぶっ放す必要もない。ぼくはハチ全般が苦手で、ハチどころかアブが飛んできても逃げ惑うくらいだが、上のような理由でアシナガバチについては積極的に保護していこうと心に誓った次第である。

とはいうものの音を立てて目の前に飛んでこられるとやはり怖いので、なるべく遠くから見守ることにしたいと思う。

posted by 白林檎 at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 白林檎的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月26日

花壇を作る

相方がレンガを積んで花壇を作るというのでその工事を手伝ったりしている。ホームセンターなどに行くと積まれたレンガ風のブロックがあり、並べるだけでレンガを積んだような外観の花壇を作ることができるというのでやや人気を博していたりするが、生憎うちの相方はあらゆる場面で凝り性なもので、そういった商品は最初から選択肢から除外されているのである。

レンガを積むにはモルタルが要る。というので、相方の父上から最低限の道具を借りて、庭でモルタルを作る辺りから作業が始まる。モルタルの材料はポルトランドセメントと砂と水、それから大量の人力である。これらを適量混合することでモルタルが出来上がり、それで目地を作りつつレンガを積んでいくのだが、これが幼い頃の泥んこ遊びを彷彿とさせて、思いの外面白い。乾いたら取り返しがつかないほど堅くなるという一点を除けば、本当に泥遊びと変わらない。

このようにして昨日、とりあえず最初の小さな花壇ができた。先ほど土を入れて、ここにはラベンダーの苗を植えた。無事に大きくなってほしいものである。

庭には同様の花壇が、大小様々な形でもう数個設けられる予定であるらしい。最後の花壇が完成する頃には、少々セメントを練ったくらいでは筋肉痛にならない体も出来ているだろうか。

posted by 白林檎 at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 白林檎的日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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